日本の面接交渉権が非親権者の「権利」としては非常に脆弱なものであることは前回お話しました。
 では、どうすることが望ましいのでしょうか。
 (前回の記事はこちら:面接交渉の問題点(その1)

 今日の話は(というか「面接交渉の問題点」シリーズの話は)、全て私の個人的な考えであることを前置きしますね。
 その上で、私は、日本の面接交渉制度は、もっと、実効性が担保されるような内容に変えるべきであり、究極的には、家庭裁判所の許可無くして面接交渉約束の不履行を続けた場合には、親権者の変更がなされるというような強い制裁を加えるべきだと思います。

 「面接交渉の拒否ぐらいで親権者を変えるの?!」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
 でも、面接交渉とは、そんなに軽い権利なのでしょうか?
 否。私は、面接交渉権は、子どもの未来の安全と可能性を確保する為の大切な手段であり、特に子どもにとって、極めて重要な権利であると考えています。

 どういうことか説明します。
 親にとって子どもは、何物にも代え難い(恐らくは、唯一、自分よりも大切な)存在ですよね。それは親権者・非親権者の区別に拘わらず同じ事だと思います。
 だとすると、仮にあなたが離婚して親権者になったと仮定して、もし自分が不慮の事故や病気で亡くなったり働けない体になったら、と想像してみて下さい。遺された子どもの為に、自分と同じだけの労苦や犠牲を厭わずに行動してくれると思える第1の存在は、同じ親である非親権者親ではないでしょうか。

 中には、「いや、自分の両親がいる」「自分の親族がいる」等とおっしゃる方もいるかもしれません。(実際、多数がそうです。)
 でも残念ながら、あなたの親は普通はあなたより早く亡くなる存在です。また、親族といえど、各自の生活があります。ですから、親権者であるあなたが子どもを守れなくなった時に、あなたの親が生きているとは限りませんし、親族の方々が遺された子どもを守れるだけの余裕があるとも限りません。
 従って一番頼りうるのは、実は、同じ親である元配偶者(非親権者親)だという可能性が結構高いかもしれないのです。

 ただ、親とは言っても、長年会わせて貰えなければ、子どもに対する愛情や責任感が薄れるのは当然です。従って、非親権者親と子どもとの面接交渉は、非親権者に対して子どもに対する愛情と責任を実感させ続ける為の大事な機会なのです。換言すれば、面接交渉とは、子どもの安全な環境や可能性を維持する為に不可欠なものだと思います。

 そうすると、夫婦間の感情の葛藤を離婚後まで引きずり、子どもの安全な環境や可能性を摘んでしまうことは、親権者としては絶対にやってはいけないことだと私は思います。
 たとえ元配偶者をどれだけ憎んでいたとしても、あなたが親権者であるなら、非親権者親が子どもの親として信用できるか否かというところだけを冷静に考えるべきだと思います。

 しかし面接交渉を拒む親権者を見ていると、多くの場合、自分が元配偶者を憎む余り、その感情を子どもに反映させている印象が否めません。
 子どもは身近にいる親の感情に非常に敏感ですから、自分が非親権者と会って帰ってくると決まって親権者の機嫌が悪くなるとか、面接交渉中の様子を根掘り葉掘り聞いては子どもの前で非親権者親の言動・対応をなじるかのような対応をすると、子どもは徐々に、親権者親の感情を汲んで非親権者親と会いたくないと言い出します。
 それをあたかも子どもの真の意思であるかのように思い込み、面接交渉拒否の理由とするというのが最も多い面接交渉拒否のパターンだと私は感じています。

 しかし、面接交渉が子どもにとって非常に重要な権利である以上、こういった感情的な対応しかできない親権者は、親権者としては失格であり、親権変更がなされうるのもやむを得ないことだと思います。
ということで、冒頭の結論に「究極的には」至るわけです。
 とはいえ、現状の家庭裁判所実務において、こんなにラジカルな対応は行っておりませんし、現状がすぐに変わるはずもありません。
 そこで、現状を踏まえて、面接交渉の実効性を少しでも担保できるようにするにはどうしたら良いのか、次回、更に掘り下げていきたいと思います。(予定に反して3回シリーズになってしまいました)

 。。。問題意識のある分野だけに、どうも、前回の告知にも関わらず、テンションが上がってしまいました。
 早く、元の軽い話に戻さなければ、暑い季節に、暑苦しいブログになってしまう~。(苦笑)

弁護士 長谷川桃