交通事故で身体に傷害を負った場合、これに関連して治療費等の実費のほか、入通院期間に応じた慰謝料が損害として認められます。
そして、不幸にして受傷により生じた障害が治癒しないまま症状が固定するに至った場合、後遺障害に関する損害も賠償されます。後遺障害に関する損害は、主に後遺障害慰謝料と逸失利益です。
逸失利益とは少し難しい言葉ですが、「被害者が将来得ることができたであろう利益を得られなかったこと」をいい、消極的損害とも表現されます。
たとえば、交通事故で足の親指を失った場合、後遺障害等級10級に相当する可能性が高いのですが、10級相当の後遺障害を負った人は、通常労働能力を27%失ったものと評価されます。
そこで、後遺障害の症状が固定した時点から、就労可能年齢とされる67歳までの年収の27%が事故により失われ、得られるはずの利益が得られなかったものとなって、損害賠償請求の対象となると考えられるのです。
ところが、例えば事故で後遺障害を負ったものの、その後全く関係のない事情で、67歳に至る前に被害者が亡くなってしまったというような場合、逸失利益はどうなるのでしょうか。
実際にもはや働くことがなくなった以上、「働くことにより得られたはずの利益」もなくなってしまい、加害者が逸失利益を賠償する必要もなくなるとも考えられます。
この点について争われたのが、最判平成8年4月25日民集50巻5号1221頁です。
通称「貝採り事件」と呼ばれる事件で、交通事故で重傷を負い、後遺症を残して症状固定した被害者が、事故の1年半後に自宅近くの海岸でリハビリを兼ねて貝を採取していたところ、心臓麻痺を起こして死亡したという事案です。
原審にあたる東京高裁は、
「事故と因果関係のない原因で被害者が死亡し、被害者の現実の生存期間が確定してその後の逸失利益が生じる余地のないことが確定した場合には、その事実を逸失利益の計算にあたって考慮せざるを得ない。そして、それがむしろ現実に発生した損害についてその公平な分担を図ることを理念とする損害賠償制度の趣旨に沿うものである。」
としました。
これに対し、最高裁は、
「交通事故の時点で、被害者の現実の死亡の原因となる具体的理由が既に存在していて、近い将来における被害者の死亡が客観的に予測されていたなどの特別の事情がない限り、被害者の死亡の事実は、被害者の逸失利益における就労可能期間の認定上考慮すべきではない。」
としました。
その理由として最高裁が挙げたのが次の2点です。
①労働能力の一部喪失による損害は、交通事故の時に一定の内容のものとして発生しているのであり、交通事故の後に生じた理由によりその内容が変更されるものではない。
②交通事故の被害者が事故後にたまたま別の原因で死亡したことにより、損害賠償義務を負担する者がその義務の全部又は一部を免れ、他方、被害者ないしその遺族が事故により生じた損害の賠償を受けられなくなるとすると、公平の理念に反する。
難しいことを言っていますが、かいつまんで言うと、交通事故による「損害」は、事故の時にいろいろな内容を含んだ「1つの損害」としてすでに発生しているのであって、一度発生した損害がその後の事情により減ったり増えたりするのはおかしい、というのが①です。そして、被害者側に事故後にたまたま生じた事情で、加害者が本来払わなければならない損害賠償責任から逃れることができるのは公平ではないというのが②です。
この最高裁判決により、原則として、事故後の事情で逸失利益が減額されることはないということが示されました。
しかし、逸失利益はそうだとしても、それ以外の部分もすべて同じではないのではないかという疑問が、本判決によっても残りました。
それについてはまた別の機会にご説明します。