1 最も守られない法律

 今日は、労働基準法について、法律的な観点からではなく、経営の視点から論じてみたいと思います。
 私は、労働基準法は日本の法律の中で最も遵守されない法律だと思っています。

 しかも、この法律は、悪徳業者に守られないだけではなく、日本を代表するような、多くの人が憧れる人気企業であっても守られない、大変不思議な法律なんですね。
 例えば残業代。上場企業でさえも残業代をきっちり支払い、サービス残業を一切させない会社は皆無ではないだろうかというのが、私の率直な感想です。私が知っている範囲でも、雑談まじりで「御社ではちゃんと残業代を支払われていますか?」と聞くと、「残業代なんて出ませんよ」という回答がほとんどです。

 それから有給休暇。これは、建前上取れることになっている会社がほとんどですが、実際に働いている人に聴いてみると、ほとんど満足に取っていない。なぜ取らないのかと聴くと、「有給休暇を取ると周囲に迷惑がかかります。みんな取りません。有給休暇をくれなんて言い出せる空気じゃないんです」という回答が多いです。

2 さらに不思議なこと

 さらに不思議なことには、この”労働基準法が守られていない”ということが、必ずしも従業員の大きな不満になっていない点です。
 残業代が支払われない、有給休暇も満足に取れない、という事情が転職の強い動機になることはむしろ稀です。
 もちろん、程度の問題はあります。例えば、睡眠時間も満足に取れない、休暇をもらったのは年間で4~5日、なんてすごい会社も現実にはあります。過労死事件が発生したり、うつ病になって自殺なんていう深刻な事件に発展するのは、こういう会社です。こういう会社で働いている人はかなり強い不満を抱いているでしょうね。
 でも、その不満って、残業代が出ないことに直接向けられた不満というよりは、カラダを壊してしまうほど酷使されていることに対する不満です。サービス残業が適度な範囲(カラダを壊さない範囲)にとどまれば、通常不満は出てきません。
 有給休暇なんて取らなくても、カラダを壊しませんから、なおさら不満は出てきません。そもそも現在は週休2日制を採用している会社がほとんどだし、お盆休みや正月休み、それにゴールデンウイークもあります。祝祭日も入れればけっこう休めるんですね。したがって、有給休暇を取らせてもらえないから会社を辞めたいという人はまずいません。

3 労働基準法を遵守するとどうなるか

 日本の企業の多くがこの法律を徹頭徹尾守っているわけではないといっても、稀にこの法律をしっかり守っている会社も一部にはあります。
 しかし、このような「真面目な会社」では、労働基準法を守らない「不真面目な会社(?)」で通常見られないような問題が発生しています。

 例えば、残業の例を挙げると、真面目な会社では、不思議と残業をする人が増えていくそうです。もちろん、カラダを壊さない範囲でですが、例えば1日2時間くらいの残業は平気でするようになります。ちょっと考えれば分かるのですが、残業代がきっちり支払われるのであれば、適度な残業は、むしろしたほうが給料日の支給額が増えます。しかも、残業については、割増賃金になるので、同じ時間で割高な給料をもらえます。
 したがって、その従業員が合理的思考の持ち主であれば、1日8時間でできる仕事を10時間かけてやる。そのほうが合理的なんです。逆に、1日10時間かかる仕事を頑張って8時間で仕上げると残業代がもらえない。だから仕事は非生産的にやったほうがいいんです(笑)。その結果、生産性の高い従業員よりも生産性の低い従業員の方が、より多くの給料をもらえちゃう…。そんな矛盾が起こるんです。
 したがって、このような会社では、本当に必要な残業なのかチェックしなければならない、不要な残業をしている従業員を見つけたら、「残業するな、早く帰れ!」と叱らなければならない、なんていう笑い話みたいな現象が現実的に発生してくるんです。

 有給休暇もそうです。有給休暇をしっかり取れる会社では、ほぼ間違いなく退職時に「有給休暇を買い取ってください」という要求がでます。別に組合員でなくても、ほぼ例外なく(笑)。しかし、そもそも有給休暇は従業員の権利にすぎないはずです。行使するか否かは従業員の自由なはずで、退職までに必ず消化されなければならないわけではありません。しかも、有給休暇は、給料が支給されながら休暇を取る権利にとどまり、有給休暇買取請求権というのが保証されているわけではないのです。
 そこで、会社が有給の買い取りを拒否するとどのような問題が起こるかというと、退職の意思表示があってから実際の退職日まで有給消化のために休みたいと言ってくるんです。そうすると、退職に伴う引き継ぎが全くできなくなるんです。かといって、もうすぐ辞める人に対して、時季変更権を行使して、別の日に有給を取ってもらうことも困難な場合が多いんです。
 結局、会社としては限られた期間での引き継ぎを優先して、有給の買取を余儀なくされてしまうことになります。

4 法律違反と従業員教育

 ところが、労働基準法を守らない会社ではこのようなことは起こりにくい傾向にあります。
 まず、残業代が出ない会社では、残業代目当てのだらだら残業をする動機がありません。むしろ、生産性を高めて少しでも早く帰れるようにしたほうがいいんです。生産性が低いといつまでも帰れませんから。
 有給休暇についても同様です。有給休暇が満足に取れない会社では、退職時に有給を買い取ってほしいという申し出はほとんどありません。有給はないのが当たり前だと思っているからです。
 ところが、なまじ有給を与えていると、未消化有給を残して退職することに、どこか損失感を覚えてしまうようです。みんな有給を取得しているのに、私だけ有給を残して辞めるのは、なんかすごく損をしたように感じるんですね。
 これを回避する最も単純な方法は、有給を取らせないことです。そうすれば、みんな平等になりますから、自分だけが損した気にならない(笑)。

 このように考えると、法律家として少々複雑な心境です。労働基準法を守りましょう、というのが法律家としての模範回答です。
 しかし、これを徹底的に遵守すると、不当残業という従業員のモラル・ハザードや有給の買取という従業員の我儘を育ててしまいます。
 法律の順守が却ってあだとなり、従業員教育にマイナスに働く側面があることは否めないんですね。
 したがって、従業員教育という観点からは、あまり労働基準法を守りすぎるのも考えものなんです。

 逆に、労働基準法を守らななくても、仕事のやりがいであるとか、会社のブランド力なんかあったりすると、従業員から不満は出ないんです。少なくとも、転職の動機になるような大きな不満は出ません。
 まあ、企業から労働基準法を遵守する意識が遠のいてしまう大きな原因は、この辺にあるような気がします。この法律を守らなくても、一流企業は、一流企業のままでいられちゃうし、離職率も転職率も上がりません。

 仮に労働基準法を遵守しながら、従業員の我儘が増長しないようにするひとつの解決策は、おそらく徹底した成果主義の導入ではないでしょうか。
 労働基準法は、きっちり守り、権利は保障する。しかし、会社として、できる従業員は熱く処遇するが、できない従業員は冷遇する、そんな厳しさがないとバランスが取れないと思います。
 成果主義のない、例えば年功序列の会社で労働基準法を遵守なんかすると、会社をたちまちぬるま湯組織にしてしまい、烏合の衆になってしまうような気がします。給料泥棒があぐらをかく、そんな最悪の組織になってしまうのではないかと思います。
 経営者として筋を通しているわけですから、従業員にも筋を通させる、そんな厳しい姿勢も必要です。