刑事事件において、被害者に対して示談を求めることは、刑事弁護の基本中の基本。
被害者のいる犯罪は、被害者の利益を侵害したことに処罰を合理化する大きな根拠があります。そのため、被害が回復されて被害者が加害者を宥恕(許すこと)していれば、刑罰を軽減する理由となるわけです。また、性犯罪など一部の犯罪は、「親告罪」といって、被害者の告訴(被害の訴えと処罰意思)がなければ起訴をすることができないとされています。起訴前に被害者との間で示談が成立し、被害届ないし告訴を取り下げてもらえれば、検察官はそもそも当該犯罪について公訴を提起することができなくなりますので、早期に示談を成立させる必要性が極めて高いことは明らかです。

さて、示談は、「被害の回復」と「被害者の宥恕」が大きなポイントです。
この2つは別個独立したものではなく、犯罪の態様や被害者の被害感情の大きさによって、個別の事案それぞれにつき加害者が迫られる対応は千差万別です。
特に悩ましいのが、金銭評価できない被害に対する弁償の範囲です。
つまり、財産を奪ったり壊したりしたのであれば、その価額が一つの基準になります。怪我をさせたのであれば、その治療費や後遺障害の程度に基づいて民事上認められる賠償額が目安となり得るでしょう。しかしながら、人の名誉を傷つけたり、性的自己決定権を侵害したような犯罪の場合は、被侵害利益を金銭で評価することが極めて困難。加害者はもちろん、被害弁償を受ける側にとっても、いくらを受け取っていいものか、判断に迷うことが少なくないと思います。先立つものがなければ、被害弁償といっても現実的に不可能。我々としても、加害者にどれほどの示談金を用意させればいいか、いつも悩みに直面させられます。

被害弁償は、刑罰軽減のための一つの手段であることは間違いないのですが、一方で、社会的に許されない行為をなしたこと自体についての被害者に対する謝罪の意思表示でもあります。事案によっては、執行猶予の獲得が困難なケースも少なくありませんが、それであれば被害弁償をしても仕方がないとか、少額しか支払えないから被害弁償を諦めるとか、そのような短絡的な考え方は正しくないように思います。
加害者の資力によって、弁償できる金額がそれぞれに異なるのは当然です。加害者として、自らの犯した罪と、被害者とどのように向き合っていこうと考えるか。被害弁償の必要に迫られたら、そのことをきちんと考えることが必要です。