先日、知り合いの裁判官からおもしろい話を聴きました。

 フランスでは、配偶者に浮気をされても、相手に慰謝料を請求できないそうなんです。

 離婚はできるけど、慰謝料は請求できない…。これって、けっこうカルチャー・ショックじゃありませんか?

 こうなってくると、フランスでは、結婚という制度は限りなく恋愛関係に近づくのではないかと思います。

 浮気をされて傷つくのは、夫婦でも恋人同士でも同じです。恋人に裏切られても慰謝料請求できないのに、配偶者に裏切られたら請求できるのはおかしい、とフランス人は考えているのではないでしょうか。そうすると、フランス人にとって、結婚という制度は、恋愛関係とあまり変わらないことになると思います。

 しかし、このように言うと、恋愛関係と夫婦関係とでは、傷つく程度は大きく異なるという反論が返ってきそうです。

 確かに、そういう要素はあると思います。しかし、制度が人間の感情を支配するという側面を看過してはなりません。
 恋人に裏切られた場合よりも、配偶者に裏切られたほうが傷つくのは、恋愛と結婚は異なると考えているからです。もし同じだと人々が考えているのであれば、傷つく度合いも同じだと思います。

 日本では不貞行為を”不倫”と表現します。どこかに後ろめたさがあるんでしょうね。でも、たぶんフランス人は、不貞行為を不倫とは言わないのではないかと思います。不倫て、考えてみればすごい表現ですよ。ようは、人の道にはずれている、という意味ですから。これも、制度が人間の感情に大きな影響を与えている好例です。

 そもそも結婚の制度趣旨は、子どもを産ませて家庭を築かせることにあると思います。確かに、家庭を築いて子孫繁栄を願うなら、結婚という制度の中に閉じ込めたほうが合理的だと思います。
 ようは、それを国策としてやるのか、人々の自由に任せるのかという選択です。
 国策としてやるのであれば日本のようになり、人々の自由に任せればフランスのようになるんだと思います。

 ボクは、男女の問題まで国家に干渉されるのはイヤなので、フランス流のほうが性に合ってますが、弁護士という自分の仕事を考えると、日本流のままでいいかも…(笑)。
 フランス流になっちゃうと、仕事減りそうですから…(笑)。