1 はじめに

 袴田巌さんの再審請求が認められ、無事釈放されたことはこのブログでも書きましたが、静岡地検は、東京高裁に即時抗告をしています。

 検察庁の立場では、再審決定に不服なわけです。

 それにしても、”同じ事実”を見ているのに、どうしてこうも評価が違うのか…。弁護人は、この事件について、「おかしい」と感じている、裁判官も「おかしい」と思ったから再審決定を出した。でも、検察庁だけは、「おかしくない」と思っている。

 同じ証拠を見ているのだから、袴田さんが犯人だなんておかしい、誰の目から見ても「おかしい」はずなのに、それを「おかしくない」と感じる人たちがいる。

 では、なぜこんなことが起こるのか。

 それは、一言でいえば、関係者の置かれている”立場”がそうさせるんです。
 日本の社会は、この立場というものがとても重要で幅をきかせ、間違ったことでも正しいこととして押し通してしまう。
 ホントに嫌な世の中ですね。というか、恐いですよね。

2 証拠捏造事件

 そういえば、何年か前に、大阪地検特捜部で証拠捏造事件が起こり、大騒ぎになったことがありました。
 担当検事だけではなく、特捜部長までもが逮捕されるという騒ぎになりました。

 でも、ちょっと考えてみてください。

 担当検事は、被告人に対して個人的な恨みなんてありません。

 被告人を陥れて獄につなぐ動機なんてないはずです。

 それなのに、捏造事件が起こるのはなぜか?

 それは、立場なんです。立場がその人をおかしな方向に導いてしまうんです。
 あの被告人が犯人だということでこれまでやってきた、起訴もした。それなのに、今さら無罪なんて困る。検察庁のメンツもある。担当検事のメンツもある。
 それでボタンをかけ違ってしまうんです。

3 検察庁の立場

 検察庁というところは、人を起訴するところです。

 被告人が犯人であると確信しているから、起訴しているんです。

 それなのに無罪じゃ困ります。

 しかも、袴田事件は一度有罪判決を勝ち取ったのに、何十年も経って、今さら「無罪かも」なんて言われても困る、オレたちの立場はどうなるんだ、というのが今の検察庁関係者の正直な気持ちだと思います。

 検察庁のそんなメンツや立場で人の一生が左右されていいはずはないのですが、立場というものは厄介で、検察庁の立場に比べれば、一人の人間の一生なんて枝葉末節なんです。

 この”立場”という魔物のせいで、多くの関係者が巻き込まれ、非生産的な活動に取り込まれていくんです。

 即時抗告ですよね。いや、しかし非生産的で無意味だなあ。