司法修習とえん罪―袴田えん罪事件を通して

 弁護士 金﨑 浩之


1 はじめに

 前回のブログにも書きましたが、袴田事件の再審決定が決まり、袴田さんは釈放となりました。

 裁判官も人間であるから間違いを犯す、ということになりそうですが、ボクはそう思いません。

 現在の日本の刑事裁判の実態と司法修習の現状を踏まえれば、えん罪は、起こるべくして起こっていると言うべきです。

 今日は、そのことを中心に書きたいと思います。

2 司法修習生の正解思考

 司法修習では、基本的に①民事裁判、②民事弁護、③刑事裁判、④刑事弁護、⑤検察の5教科で研修が行われ、それぞれに担当教官(講師)がつきます。

 したがって、弁護士志望の司法修習生も裁判官や検察官になるための研修を受けることになっています。

 これらの5教科のうち、ボクが修習生だったころ、とても問題があると思ったのは、刑事裁判修習でした。

 基本的に、刑事裁判修習では、”有罪判決を書くこと”が学習目標になっていたと思います。
 もちろん、ただ書けばよいわけではなくて、限られた証拠を使って、如何に上手に有罪判決を書くか、が問われていました。

 最初の入門コースは、比較的簡単に有罪判決が書ける事案が題材として与えられるのですが、段々レベル(?)が上がってきて、有罪が書きにくい出題が増えてくるんです。

 誰でも有罪が書ける事案は書けて当たり前です。

 有罪で書きにくいものを見事に書き上げるからこそ優秀なんです。

 でも、この頃からボクは段々疑問を持ち始めました。

 有罪で書きにくいなら、無理をせず無罪判決を書けばいいのに…。

 なぜそこまでして有罪判決を綺麗に書き上げることが求められるのか?

 そこで、ボクは、あるとき思い切って無罪判決を書いてみたんです。

 そうしたら、案の定、教官の添削は厳しいものでした。有罪判決を書いていた時とは全く違う教官のコメントに驚きました。「事実認定の分析力に問題がある」とか、「証拠の評価が甘い」とか、厳しいお言葉が並んでいました。

 この話しを他の修習生にしたところ、その修習生の反応はというと、

 「刑事裁判の判決起案で、無罪はないでしょ、無罪は…」

 そうなんです。刑事裁判の起案の正解は、”有罪”なんです。あとは、その有罪を如何に上手に説明出来るか、なんです。

 ボクが言うのも変ですけど、司法修習生って皆さん優秀ですから、正解思考をお持ちなんですね。

 「何が真実か」ではなくて、「何を書くことが求められているか」が重要なわけです。

 試験対策として出題者の意図が大事なのと同じように、何を書くことを刑事裁判教官は求めているのか。教官の出題意図を探るわけです。
 そうすると、有罪判決に行き着くことになる。

 後で分かったんですが、ボクのクラスで(約40人程度)、無罪判決を書いたのはボクだけだったんです。当時、研修所のクラスは全部で12クラスありましたが、他のクラスにも1人ないし2人くらいが無罪判決を書いたとか。
 他のクラスにもいるんですね。ボクみたいのが…(笑)。

3 認定落ち

 このように、無罪か有罪か微妙なものは有罪で書く、というのが当時の(そして多分現在も)司法研修所の教育方針だったと思います。

 では、例えば、恐喝か強盗か微妙なケースや、殺人か傷害致死で迷うような事案では、何が正解なのでしょうか。

 はい。正解は”重い罪”のほうです。

 恐喝と強盗で迷ったら強盗で書く、殺人か傷害致死で迷ったら殺人で書く、というのが正解です。
 というか、司法修習生はそのように分析していました(研修所の教官室の方針は分かりませんが)。

 それなのに、ボクは大事な2回試験で大きな過ちを犯してしまいました。

 2回試験とは、”考査”といって、司法修習を終えた証となる、立派な国家試験です。司法研修所の卒業試験ではありません。

 司法試験に合格しても、この考査で落ちると弁護士になれないのです。

 その時の刑事裁判の出題は、恐喝か強盗で迷う内容でした。

 ボクは、2回試験であることを忘れ、いつもの反骨精神で、つい”恐喝”で判決文を書いてしまったんです!
 これを業界用語では、”認定落ち”と言いますが、検察官が起訴状で請求している罪名よりも軽い罪で有罪とする認定です。
 これを、よりによって2回試験でやってしまったんです。

 このときボクは正直、「しまった!」と思いました。これは2回試験なのだから、ボクも正解思考で書くべきだったんです。
 それなのに、つい調子に乗ってしまって、いつものように書いてしまいました。

 もしこのせいで2回試験に落ちると弁護士になれない、どうしよう…と、本気で心配しました。

 そこで、試験が終わった後で他の司法修習生から情報収集してみると、ボクのクラスで恐喝で書いた人は、ボク含めて2人。ボクだけではないことを知って安堵しました。
 さらに他のクラスからも情報を集めると、だいたいクラスに1人から2人は恐喝で書いていることがわかりました。
 当時、12クラスありましたので、そうすると、全体で20名前後が恐喝で書いたことになります。予想以上にいたことを知ってさらに安堵。

 今と違って、昔は2回試験で落ちる人はほとんどいないという時代でしたから、20名前後も落ちることはないはずです。
 結果的には、無事合格できたので、2回試験不合格は杞憂に過ぎなかったんですけど、本当に冷や冷やしたのを覚えています。

 それにしても、恐るべき修習生の正解思考…。

 こんなことで冷や冷やしなければならないのが、刑事裁判修習だったんです。

4 刑事司法の病理

 司法修習生時代の経験から、ストレートにえん罪につながっているとまでは言えないかもしれません。

 しかしながら、当時から、そして多分今も、有罪判決で書くというのが多くの司法修習生の正解思考となっており、その一部が現に裁判官になっていることを考えると無関係だとは言えないような気がします。

 そして、何よりも司法修習生の正解思考の原因は、それが裁判官である教官の求めている回答だから、だというのが大前提にあります。

 そうすると、そのような正解思考の司法修習生が裁判官になった後も、それを引きずっていることは容易に想像できます。

 したがって、日本の刑事裁判で起こっているえん罪は、”人間だから”ではなく、もっと根深い構造的な問題で起こっていると言うべきです。

 このことは意外と知られていない。

 もっと世間に知ってもらいたい、と思って書きました。