弁護士 金﨑 浩之 

 皆さん、袴田事件ってご存じですか?

 これは1966年6月30日に、静岡県旧清水市で一家4人が殺害されるという事件です。
 ボクがまだ3歳の時です。

 実は、この事件で有罪判決を受けた袴田巌さんという人は、元フェザー級6位のプロボクサーでした。現在、死刑囚として服役中で、再審請求をしているそうです。


 日本プロボクシング協会は、袴田巌支援委員会を立ち上げて、多くのプロボクサーたちが支援活動に参加しているそうです。

 ボクは、弁護士としてこの事件に関与しているわけではないので偉そうなことは言えませんが、非常にえん罪の匂いがしますね。

 第1に、45通ある自白調書のうち、1通を除き、44通は自白の任意性なしとして証拠能力が否定されている点です。
 44通の自白調書の証拠能力が否定されているのであれば、残りの1通の任意性も疑わしいと考えるのが自然です。それなのに、1通だけ任意性が認められたのはどうしてかわかりますか?要するに、全部の自白調書の証拠能力を否定してしまうと、有罪判決を書くのが難しくなるからです。自白意外に有力な証拠があればいいのですが、それがないと有罪判決が書きにくくなってしまうんですね。でも、自白調書は、被告人自らが罪を認めているわけですから、有罪判決が書きやすいんですよ。

 第2に、この事件の一審判決を書いた、元静岡地裁の裁判官である熊本典道氏が、2007年2月に、静岡朝日テレビで「無罪判決を書くべきだった」と後悔の気持ちを語っていることです。これは大変異例です。当該事件に関与した担当裁判官が苦しい胸の内をテレビで明かすなんて過去に例がありません。
 裁判官は、無罪判決を書きたいのに書けない。しかも、事件が凶悪事件だけに死刑判決です。最悪ですね。これは、司法に携わっている法曹関係者の多くが密かに感じている刑事司法の病理ですよ。刑事事件の裁判官にとって、有罪判決はいわばルーティーン業務。事件解決で一件落着なんです。
 ところが、無罪判決は、裁判官としては、捜査機関の誤りを宣言することになる。しかも、真犯人は取り逃がしております。これでは世の中が丸く収まりません。刑事事件の無罪判決は、社会としてはショッキングな出来事になるわけです。だから、とても無罪判決を書く勇気が出ない。これが担当裁判官の偽らざる心境だと思います。

 この2点をもってしても、この事件はえん罪の可能性が濃厚なんですね。

 現時点では、袴田さんの死刑は執行されておりませんが、是非、再審請求が受理されて、無罪を勝ち取れることを陰ながら願っております。