今日は、京都で大学時代のサークルの同窓会があるので、それに参加してきます。

 ボクは、大学時代にESS(英語研究会)というサークルに所属していました。同窓会についてはお盆休みあけにでもこのブログで報告しようと思いますが、ESSはボクにとって思い出の多いサークルでしたので、今日はESSについてちょっと書いてみようと思います。

 ボクは定時制高校を卒業して、京都外大の英米語学科に進学しました。

 当時のボクは、まだ不良の面影が残っていましたので、応援団や空手部の執拗な勧誘にあいましたが、それらの勧誘を振り切ってESSに入りました。外大に入った以上、英語くらいはモノにしたかったので…。

 何が凄かったかというと、ESSのサークル見学会では、先輩たちがサークル活動についての説明を全部英語でやったんです。先輩たちの説明が英語だったため、内容はほとんど理解できませんでしたが、非常に説得力がありました。なぜかというと、このサークルに入れば自分も先輩たちのように英語がペラペラになれることが分かったからです。

 実際にESSに入ってみると、部活は全部英語でした。休憩時間の雑談も全部英語で、”日本語厳禁”という方針が徹底されていました。
 夏合宿も日本語厳禁。お風呂の中でも英語、食事の時も英語…。確かに、これなら英語が上手くなるはずです。

 でも、大学のESSは、巷の英会話学校とは大きく違いました。

 さすがに大学なので、基本的に部活では英語で討論するサークルだったんです。ということで、かなりアカデミックなサークルでした。だから、英語が喋れるだけでは不十分で、政治や経済の勉強もしないといけませんでした。ということで、大学生の時には討論に必要な教養を身につけるために、かなりの量の本を乱読しました。その中には法律の本も含まれています。ボクが弁護士になるきっかけを与えてくれたのもESSなんです。

 そして、ささやかながら、この時期にリーダーシップも学びました。大学2年生の終わりに、ESSの部長になったからです。ESSは、大学公認のサークルとしては大所帯で40名ほど部員がおりました。また、大学からの助成金も一番たくさんもらっていましたので、お金の管理も必要になってきます。
 部長時代には、ESSの役員選出の選挙制度の改革や、不人気セクションの廃止、ESS会則の改正などをやりました。歴代の部長は何も改革をしなかったようですが、ボクの”改革好き”はこの頃にその片鱗をのぞかせていました。

 ボクが一番やりたかった改革は、”セクション制度の廃止”でした。

 当時、ESSの活動は、ディベート、ドラマ、ガイド、スピーチの4つのセクションに分かれており、セクション毎に活動していました。
 ボクは、このときのセクショナリズムが嫌で、1年生の時に、当時の部長に”セクション制度の廃止”を提案したのですが、「オマエが部長になったときにやれ!」と一蹴されてしまいました。
 そして、ボクが部長になる際に再び仲間たちに提案したのですが、猛反対にあって実現しませんでした。大きな改革の難しさもこのときに学びました。
 でも、みんなボクの改革案に反対だったのに、ボクが部長になることにはみんな賛成してくれたのは、ちょっと意外だったのと同時に嬉しかったです。

 今日これから、その当時の仲間たちに会ってきます。みんながどのくらい成長しているのか楽しみです。