大津で起こったいじめ自殺事件で、校長先生が「いじめという認識はなかった」と答弁しているのをテレビのニュースで観ました。

 自殺の前後で生徒たちにアンケートを取り、その内容が一部メディアで紹介されていましたが、周りの生徒たちはいじめの存在に気づいています。

 なのに、校長先生をはじめ、先生たちにはいじめだという認識がない…。

 当然マスコミは、そんな学校の対応を不思議に思う。「どうして気づかないのか?」と…。

 でも、これは問いがよくないと思います。

 正確な問いは、「どうしていじめに気づかないのか?」ではなく、「どうしていじめに気づかないと言いたいのか?」だと思います。

 校長先生の答弁を聴く限り、どうみてもいじめに気づいてますよ。

 まず、これは自殺の前後で分けて考えてみる必要があると思います。

 自殺後に関して言えば、学校側がいじめの認識がなかったと言いたい気持ちは分かります。なぜなら、子どもが自殺してしまった以上、「いじめの認識があった」などと答弁してしまうと、自分たちの責任問題に発展してしまうからです。自殺後は、学校側もさすがに裁判などの責任追及を確実に意識しているはずです。

 問題は、自殺の前です。自殺前にいじめに気づいていれば、対処することができます。いじめを密告してきた女子生徒もいたわけだし、学校側は自殺前にもいじめの存在を知っていたはず。この段階で適切な対応をしていれば、被害少年の自殺という最悪の結果は防げた可能性があります。

 なのに、「いじめだとは思わなかった。ただのケンカだと思った」と答弁している。適切な対応をとるチャンスがあったのに、いじめに気づかないフリをしたい、これはどうしてなのかを問う必要があると思います。

 ボクの印象としては、たぶん学校側に、ある種の官僚体質があるのではないかという気がします。つまり、

 いじめが発生→学校の監督不行届→学校の責任

という図式です。

 だから、学校側としては、いじめが存在しないことにしたい、そういうことだと思います。

 これは、大津の学校だけではなく、日本全国の小中学校にはびこる体質だと思います。

 この問題を解決する糸口は、学校関係者を含め、ボクたちが、いじめに対する正しい認識を共有することだと思います。
 つまり、いじめが起こること自体が問題なのではない、いじめはどんなに立派な学校でも起こるんだと…。いじめが起こったことが問題なのではなくて、いじめに対して適切な対処を怠ったことが問題なんだと…。

 そうしないと、学校側は、せっかくいじめに気づいても、それにフタをしてしまい、気づかないフリをしようとしてしまいます。
 これでは、同じような事件が繰り返されます。大津のような事件て初めてではないし、たぶん今後も起こります。

 
 学校の管理体制が問題なのではありません。いじめにフタをしたい体質が問題なんです。

 そういうことを正面から議論する必要があると思います。