1 はじめに
こんにちは、弁護士の伊藤です。
今回は、最判昭和43年3月15日・民集22巻3号587頁(以下「本判例」といいます。)を踏まえて、示談当時予想しなかった後遺症等が発生した場合における示談の効力について検討したいと思います。
2 交通事故の損害賠償に関する紛争処理
⑴ 主要な役割を果たしている「示談」
交通事故が発生した場合、責任ある加害者は被害者に対して損害を賠償しなければなりませんが、交通事故の損害賠償に関して争いがあるとき、判決という形で紛争が解決されることは全体からみればむしろ例外的[1]であって、大多数の事件は、いわゆる「示談」によって解決されています。
⑵ 「示談」とは
「示談」とは、一般に、加害者が損害賠償として一定額の支払いを約するとともに、被害者が、その支払いを受けることで満足し、それ以上の損害賠償請求権は一切放棄する旨合意すること[2]をいいます。
こうした「示談」の法的性質は、民法上の和解又は和解類似の契約と解されます。
ここで、民法上の和解契約(民法695条)とは、当事者が互いに譲歩してその間に存する争いをやめることを約することをいいます。
そして、民法上の和解契約が成立した場合には、以下の二つの効力が生じます(民法696条)。第1に、当事者の一方Aが和解によって争いの目的である権利を有するものと認められた場合に、後からAがその権利をまったく有しなかった確証が出たときは、その権利は、和解によって相手方BからAに移転したものとなります。第2に、相手方Bは、ある権利を有しないと認めた場合に、Bがこれを有したという確証が出たときは、その権利は、和解によって消滅したものとなります。[3]
したがって、示談した被害者は、後日示談金に不満を抱いても、加害者に対して、示談額より実損害が多いことを証明して、損害賠償の追加請求をすることはできないのが原則となります(民法696条参照)。
⑶ 「示談」の問題点
しかしながら、示談当時予期しなかった重大な後遺症が発生したような場合には、具体的衡平の見地から、加害者の紛争解決に対する期待・法的安定性の保護との調和を確保しつつ、現実に苦しんでいる被害者の救済をいかに図るかが問題となります。
3 最判昭和43年3月15日・民集22巻3号587頁
⑴ 本判例の要旨
裁判所は、①全損害を正確に把握し難い状況のもと、早急に、②小額の賠償金で示談がなされた場合には、③示談当時予想できなかった後遺症等による損害につき、被害者は損害賠償の追加請求をすることができる旨判示しました。
⑵ 本判例の検討
本判例は、前記のとおり3要件を掲げていますが、理論上[4]、被害者を示談の拘束力から解放するため、最も重要な要件は前記③の要件であると考えられます。
この点、示談当時予想できなかった損害というのは規範的な概念であるところ、かかる損害にあたるか否かは、示談の全過程における諸般の事情を総合考量して客観的に判断される[5]ものと考えられます。
そして、本判例の考え方も、当事者間の衡平に基礎を置く以上、被害者に重大な過失があるような場合には、これも考慮される[6]のではないかと考えられます。
4 本判例を踏まえた実務上の問題点
⑴ 軽率・不用意な示談のリスク
そもそも人身事故は、相当期間を経過しないと、当事者はもちろん、専門医師であっても、傷害の内容・程度、治療期間、後遺症の有無・程度などの全貌を正確に把握し難い[7]ものです。
加害者には、刑事責任の減免という利益を得んがため、捜査の早い段階に示談しようと急ぐことが多くみられます[8]。
こうした中で、被害者には、事故後間もない時期における困惑・動揺、対応準備の不足などの事情から軽率・不用意に示談に応じてしまう危険があるといわれています。
⑵ 弁護士の活用
軽率・不用意な示談のリスク対策のひとつとして、事故後早期に弁護士を代理人として立てて交渉を行うことが考えられます。
[1] 塩崎勤『示談の拘束力と事情変更』判例タイムズNo.645(以下「塩崎」と略す。)‐49頁によれば、「交通時の損害賠償に関する損害賠償に関する紛争が訴訟という形」で解決されるのは、「人身事故総数のせいぜい1ないし2パーセント程度」に過ぎない。
[2] 田邨正義『示談当時予想しなかった後遺症等が発生した場合における賠償請求権放棄約款の効力』判例タイムズNo.222(以下「田邨」と略す。)‐80頁。
[3] 我妻榮・有泉亨・清水誠・田山輝『コンメンタール民法(第2版)』1219頁。
[4] 本判例は、一般に、示談の拘束力ないし権利放棄条項の適用範囲を限定的に解釈したうえ、被害者からの追加請求を認める法的テクニック(限定解釈論)を用いたといわれる(塩崎54頁など)。
[5] 塩崎59頁。
[6] 田邨83頁。
[7] 塩崎59頁。
[8] 塩崎50頁。
弁護士 伊藤蔵人