皆様、こんにちは。

1 イントロ

 前回の私の記事で面会交流の審判例を紹介いたしました。裁判所で面会方針を決めてもらったにもかかわらずお子さんを会わせようとしない親に対しては、間接強制という違約金を支払わせることで面会を強制させる方法がありますが、違約金の額を裁判所が調整できるので強制力に疑義を残します。

 それでは、子に会わせてもらえない親は泣き寝入りなのでしょうか。近時の活動や議論に関して少々ご紹介します。

2 共同親権の議論

 日本では夫婦は共同親権です(民法818条1項)。そして、離婚の際には通常片親が親権者と指定されることになります(民法819条1項、同条2項)。離婚後は単独親権者となった親が子供を引き取り、親権者になれなかった親は親権者の胸先三寸で面会できるか否かが決まってしまうのが実態です。

 他方で、多くの諸外国では離婚後も共同親権を認められています。共同親権ならば、双方の親が子の監護養育に関わる権利・権限を持っていることになるので、理屈の上では非監護親が監護親に対して子供に会わせて欲しいと主張はしやすくなります。

 しかしながら、相手方が要求に応じればいいのですが、無視されてしまった場合にはやはり泣き寝入りの状況が考えられます。

 近時は日本における共同親権導入の議論が活発になされているようですが、共同親権の論者もその辺りは現実的に捉えており、全ての事案が解決するわけではないと考えています。面会交流に特化したものではなく、離婚後子供に対する監護の在り方という広い枠組みで議論されているようです。

3(PAS) = parental Alienation Syndromeという議論

 離婚に伴い、片方の親と離れた子供は、監護親の影響を受けて非監護親との面会に応じなくなってしまうことがあります。そのような子供達の傾向を米国の学者であるガードナーはPAS(= parental Alienation Syndrome)と名付け、精神的虐待の一つとして議論すべきと提唱しました。

 できることならお子さんが面会を拒否した場合の反論として用いたいところです。しかしながら、現時点では海外で法的手続等においてPASを精神疾患として扱われたことはなく、日本ではまだ医学上においてすら議論されていない状況です。私はなぜか裁判所からお子さんが面会を嫌がるようになった説明の理由付けに使われた経験があります。

4 私見

(1) 「びじっと」という面会交流の実現を支援するNPO団体のホームページには面会交流のガイドラインが紹介されています。

 そこには面会交流に行うにあたって親が心がけるべき事柄が10数項目列挙されています。
 各項目を見てみると「面会のスケジュールは子どもが安定的な生活を送れることを重視して決めましょう」等と端から見ていると至極当然のことだと思える内容が並んでいるのですが、現実に各項目を守るのは難しい気がします。

 実際のところ、親同士が別居or離婚によっていがみ合っている状況にあると、面会の待ち合わせや連絡の取り方一つを取っても揉めます。相手の言うとおりにしたくない、思い通りにさせたくない等といった相手方に対する反発心を抱くことが多くて、なかなか面会実現に至らないことがあります。

(2) 共同親権の議論には両親が親権者か非親権者という立場を気にせずに子供のためにコミットできるようにしようという狙いがあるようです。しかし、いがみ合う(元)夫婦の関係は、うるさい者勝ちというパワーゲームの様相を呈し始めるので、共同親権という言わば同じ土俵に立つ設定にしてしまうとむしろ決め手を欠くことになりかねないでしょう。

 子供に会いたい、様子を知りたいといった願望は非監護親であっても、親である以上叶えられるべきものであって、共同親権というキーワードを間に入れることが必須ではないように思います。ロジックの問題に帰着する気がするので、私には面会交流を実現させるために強制力を生み出す議論の方が有意義に思えます。

(3) 例えば、「面会交流の約束を5回連続で反故にした者は親権者の変更を裁判所に申し立てられても異議を述べることができない」といった条件が付けられるようになったらどうでしょう?

 調査官調査を通じて子の福祉の観点から親権者を決定するようなプロセス重視の現行の体制からすれば、かなり乱暴な親権の決め方(変え方)です。

 しかし、上の例でいえば監護親は少なくとも5ヶ月に1回は子供を非監護親に会わせないと親権剥奪の危機を迎えます。約束を守らないことを前提としている点であまり気持ちの良いものとはいえませんが、子供と会えない状態がずっと続くよりはいいと思います。

 今回もお付き合いいただきありがとうございました。