先日、最高裁判所事務総局家庭局の改訂版の「家事事件申立書書式」が家裁月報62巻9号98頁に掲載しているということを、とあるところから知りました。そのなかで、面接交渉(非監護親が子に会うこと)の用語を面会交流に変更する旨の注意書きがされているということです。
今回は、この面接交渉という言葉と、面会交流という言葉について、考えてみたいと思います。
私は、今まで、面接交渉という言い方をしてきました。そのためなのかどうかは分かりませんが、依頼者(親)に対して、「面接交渉は子どものためのものです。」と説明してきましたが、うまく理解していただけないこともありました。面接交渉は、子どものためのものでありますが、時として親のエゴのために利用されてしまうこともあると思います。双方の親が、冷静になって、子どもの立場になって考えてあげれば、ある程度は落ち着いてうまくいくのではないかと思っています。
「面接交渉」という言葉について、別れた子供と面会交流することが困難なときの親同士の話し合いというような、問題のある場合のことだと思ったとか、マイナスイメージの印象を受けたとかいうような意見を聞いたことがあります。
逆に、依頼者から、「自分の子どもと会うのに何が『面接交渉』だ!」と怒られてしまったこともありました。
このようなことが背景にあったのかと私は思いますが、ついに最高裁は、「面接交渉」という用語を利用するのをやめ、「面会交流」という用語を利用することを決めたのです。
正直、そんなのどっちでもいいんじゃないの?と思っている人も多くいることと思います。しかし、最高裁が、法律用語を正式に変更するということは、意味のあることだと私は思います。
もともと、「面会交流」という用語は親子交流を求める市民団体などで使っていた用語でした。このような市民団体が使っていた用語を最高裁も採用したのですから、最高裁としても、親子交流を積極的に認めていこうという姿勢の表れなのではないかと思います。
また、「面接交渉」という堅苦しい言葉を放棄し、市民からなじみのある裁判所にしようという意図があるのかもしれません。
私も、これを知り、今後は「面接交渉」ではなく、「面会交流」という言葉を使っていきたいと思っています。
ただし、言葉の使い方を変えただけでは意味がありません。
たとえば、親同士が話し合ってもうまく調整ができない場合には、子供にとっては一方の親から他方の親の悪口を聞かなければならないような状態になってしまうこともあり、そのような状況で、面会交流を無理に行なおうとすると、子供が最も辛い立場に置かれることになることもあるでしょう。そのような場合には、親としては、子供のことを第一に考えて、あえて会わないという選択もあるかもしれません。ただし、子供に何かあったときには、いつでも会う、最大限の援助はできるようにしておく必要があると思います。
また、面会交流について取り決めをしたのにこれに従わない人もいると聞きます。しかし、面会交流について、子どものために決めたのですから、分かれた相手とこともが交流するのは嫌かもしれませんが、子どものことを第一に考えていただきたいと思います。
いずれにせよ、親の権利を主張するだけではなく、子供の視点で面接を行うことが必要です。
弁護士 松木隆佳