今回は、賃借人の賃料の不払等を理由に賃貸人が行った賃貸借契約の解除が、信義則に反して許されないとされた事例をご紹介し、分析してみたいと思います。
【最高裁昭和39年7月28日判決】
本件の事案の概要は、おおむね以下のようです。
Aは、昭和16年3月、その所有する本件建物をY(以下「被告」といいます)に賃貸しました。以来、被告は同建物に居住してきました。昭和20年9月、X(以下「原告」といいます)が家督相続により、Aの有していた賃貸人の地位を承継しました。
昭和25年に、ジェーン台風で本件建物、特に屋根部分が大きな被害を受けたので、被告は原告に対して屋根の修繕を依頼しましたが、原告はこれに応じませんでした。そこで、昭和29年6月ころ、工務店に依頼して屋根全部を葺き替え、その費用として2万9000円を支出しましたが、この費用を原告に償還請求したことはありませんでした。
本件建物の賃料は、昭和31年12月分以降は月額1200円でしたが、原告は、昭和32年、被告に対し、賃料を月額1500円に増額することを要求しました。しかし、被告はこれに応じることなく、同年10月分の賃料として1200円を原告方に持参提供したところ、原告がこの受領を拒否したので、同月分以降の賃料を月額1200円の割合で数ヶ月分ごとに供託していました。
原告は、昭和34年9月22日、被告に対し、同年1月分から8月分までの賃料合計9600円を同月25日までに支払うよう催告するとともに、同日までに支払わないときは本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をしましたが、被告はこれに応じませんでした。(被告は、すでに同年1月分から同年4月分まで合計4800円を同年7月3日までに供託していました。また、同年5月分から10月分まで合計7200円を同年11月9日に供託しています。)
原告は、本件賃貸借が上記解除により終了したことを主張して、被告に対して、本件建物の明渡しを請求しました。
これに対して、裁判所は大要以下のとおり判示しました。
第一審判決は、原告が解除に先立って催告を行った際の未払賃料が昭和34年5月分ないし8月分のみであったこと、それまでの間、賃料を延滞したことはなかったこと、原告が解除の意思表示をした 際の統制賃料額(当時施行されていた地代家賃統制令により定められていた家賃)は月額750円程度であり、これを元に計算すると、延滞していた家賃は3000円程度に過ぎなかったこと、被告が2万9000円の修理費を負担したのに償還請求をしないでいたことなどを認定し、「被告にはいまだ本件賃貸借の基調である相互の信頼関係を破壊するに至る程度の不誠実があると断定することはできない」として、原告主張のような、催告期間内に延滞賃料の支払いがなかったことを理由とする原告の本件賃貸借契約の解除権は認められない」と判示しました。控訴審判決(第2審の判決)も、同趣旨の判示をしました。
最高裁判所も、第一審判決が認定した事実関係を確認した上で、次のように判示しました。「(被告が、原告から催告を受けたときに、)延滞賃料の支払いまたは前記修繕費償還請求権をもってする相殺をなす等の措置をとらなかったことは遺憾であるが、右事情の元では法律的知識に乏しい被上告人が右措置に出なかったことも一応無理からぬ所であり、右事実関係に照らせば、被告には未だ本件賃貸借の基調である相互の信頼関係を破壊するに至る程度の不誠意があると断定することはできない」として、本件解除の効力は認められないと判断し、賃貸人(原告)側の主張を退けました。また、原告が行った被告の保管義務違反の主張についても、「改造工事は賃借家屋の利用の限度を超えない」などとして、信頼関係破壊には至らないものと判断しました。
不動産の賃貸借契約において、形式的には契約の解除事由にあたる事項があったとしても、信頼関係破壊に至らない特段の事由がある場合には、賃貸借契約の解除は認められない(いわゆる信頼関係破壊理論)というのは、裁判所が一貫してとっている立場であり、本件もそれが踏襲されたものといえるでしょう。
この裁判例の事例においては、事実として認められたのが「3ヶ月分の賃料の滞納」であり、この程度の滞納であると、賃貸契約の解除に至る程度の「信頼関係の破壊」はないものだとされたようです。そのほか、賃借人が行った屋根の葺替え費用を賃貸人に請求しなかった点についても、賃借人の側に有利に働く事情だと判断したようです。
賃貸人の側としては、賃料不払いを理由に賃貸不動産について明け渡し請求をする際には、少なくとも、「3ヶ月以上の賃料の滞納」を理由にしたいところです(もちろん、解除が認められやすいという点では、滞納月数が多ければ多いほどよいですが)。また、その他に、(本件では認められませんでしたが、)賃借人側が「無断で賃貸建物を改修した」など、賃借人の落ち度として指摘できる点については、十分な立証とともに準備しておくことが望ましいでしょう。