前回までに、立退料が提供された結果賃貸不動産からの立ち退きが認められた事案及び認められなかった事案の例を、裁判例からご紹介して分析をしました。
では、立退料の支払いによる明け渡しが認められる場合、立退料は具体的にどのように算定されるのでしょうか。
東京地裁平成19年8月29日は、東京都文京区所在の賃貸物件(賃借人が住居として使用していた建物。以下「本件建物」といいます)について、立退料の支払いを前提に物件の明渡請求が認められた事例です。
この事例においては、「被告(賃借人)の本件建物の使用の必要性は、住居とすることに尽きており」と、本件建物の利用目的が賃借人自らの住居のためであることをまず認定し、「そのような場合の立退料としては、引越料その他の移転実費と転居後の賃料と現賃料の差額の1,2年程度の範囲内の金額が、移転のための資金の一部を補填するものとして認められるべきである」との規範を提示しました。また、正当事由については、本件建物の建て替えの必要性(本件建物は、昭和44年4月頃に建築された建物ということであり、本判決までにおよそ築38年は経過しているとみられる建物)も考慮されたようです(判決は、この点も指摘して正当事由を基礎づける事情があると判断しました)。
これにもとづき、立退料の額を具体的に算定するに当たって考慮されたのは以下の要素です。
(1) 移転実費が明らかでないとして判示を避けましたが、考慮要素として例示はしました。
(2) 差額家賃については、現在の本件建物の家賃10万5000円と、被告の主張する14万2000円との差額である3万7000円の「2年分」が88万円となることを認定しました。
(3) また、本件建物の賃貸借契約の解約申し入れの効力は平成17年10月9日の経過により発生しており、その時から、本件の口頭弁論終結時である平成19年7月18日まで、約1年9ヶ月が経過しており、被告(賃借人)はその間の居住の利益を得ている。(このことにより、(2)のとおり本来はやや高額の賃料を支払うべきところ、この支出を免れているので、その分被告賃借人に利得が発生しているので、立退料の算定にあたってはこの点が減額要素となると思われます)
(4) 必要費については、電気工事費、湯沸かし器及び設置費用、鍵取り替え費用として計13万8300円を支出したことを認定しましたが(いずれも上記を証する書証による)、それ以外の必要費については、認定に足る証拠がないので認められないとしました。
(5) 以上の事実を総合考慮した上、さらに被告賃借人の主張する必要費等の額、被告に予想される有形無形の損害の一切を被告に有利に考慮しても、「原告(賃貸人)が和解に応じる205万円が、低額に過ぎることは考えられない」として、裁判所は、立退料205万円の支払いと引き替えに本件建物の明け渡しをせよとの判決をしました。
数字だけの計算からすれば、(2)で検討された差額家賃分(2年間分)が、(3)で認定された、解約申し入れの効力発生時から口頭弁論終結までの居住利益(約1年9ヶ月分)によりほぼ相殺され、これに必要費等の支出を加えただけでは、被告賃借人には数十万円程度の立退料しか認められないという結論にもなりかねないところでした。
ただ、判例は、(数字的には明示することができないものの)、移転に必要な費用【上記(1)】や「被告に予想される有形無形の損害の一切」を考慮して、立退料を205万円が相当と認めたようです。
このように、立退料の算定にあたっては、賃借人における具体的な損害を示す資料が提出されればそれらも考慮されますが、かならずしも資料がない場合でも、裁判所が裁量で定めることもあります。
上記のような本件の事情一切を考慮すると、この事案について裁判例が示した「立退料205万円」は、被告賃借人の立場にも一定の配慮を示していることがうかがわれ、妥当なものだと考えられます。(ちなみに、この立退料の額は、裁判の過程で裁判所が提示した額を原告の側が了承した額とのことです)
ちなみに、被告の主張によると、立退料413万円(内訳:賃料相当額の2年分252万円、移転費用100万円、必要費として61万1290円)を支払ってほしいとのことだったようです。このうち、賃料相当額については、上記の判示どおり認められませんでした。
立退料を支払わなければ正当事由が補完できず、さらに立退料の額について折り合いがつかない場合は、この事例のように、裁判所が立退料の額について勧告してくれることもよくあります。これに不服があっても、仮に判決となればそれ以上の立退料が認定されることはまずありませんので、立退料を支払う側・受領する側ともに、歩み寄りの姿勢が望まれるところでしょう。