平成22年1月19日付日本経済新聞朝刊によると、文化庁は、「日本版フェアユース」として、権利者の利益を不当に害しない公正利用であれば自由に著作物を使える制度の創設を検討しているようです。
「フェアユース」の理論とは、もともとは、アメリカ合衆国において「著作権侵害訴訟」の「抗弁事由(著作権侵害を行ったとして訴えられた側である被告が、著作権侵害の主張に反論するために行った法的主張)」として認められてきたものです。もともと判例法により提唱された「フェアユースの法理」とは、以下の①~③の3要素を含むものとされています。
① 「抜粋の性質と目的」
問題となっている(著作権違反が問題となっている)行為が、どのような目的・意図によりなされたのか、またその行為がどのような性質を有するか。
② 「利用された部分の量と価値」
原著作物から引用された部分が、どれくらいの量であるか(大量か、無視しうる程度の少量か)。また、その部分がどのような価値を有するか(著作物の中核的な価値を有する部分か、または周縁的なものにとどまるか)。
③ 「原作品の売り上げの阻害、利益の減少、または目的の無意味化の度合い」
問題となっている著作物の引用等がなされたことによって、原著作物の売り上げや利益が阻害または減少されたか、または、原著作物の意図する目的が無意味とされるような効果があったか。
① の要件は、たとえば、問題となる当該引用が、原著作物を害する意図をもってなされたものである場合などに問題となります。
② の要件は、たとえば、当該引用の絶対的な量を問題とし、原著作物との関係をみる基準といえます。
③ の要件は、その示すとおり、当該引用等がなされることにより、原著作物(の著作権を有する者)が経済的な打撃を受けたか否かを問題とする基準です。
アメリカ合衆国は判例法の(つまり、具体的事件に関する裁判所の判決が法規範を形成することが多い)国ですので、著作権侵害の有無を判定するにあたって、上記の「フェアユースの法理」が利用されることが多いようです。また、この「フェアユースの法理」自体、曖昧さを残す基準ですので、日本では制定法により解決されることでも、アメリカ合衆国においては深刻に争われることもあるようです。(たとえば、米国著作権法には、日本の著作権法30条(私的利用のための著作物の複製)に類似する規定が存在しないので、この点について争いが起きたことがありました。)
報道によれば、「日本版フェアユースの法理」として文化庁が検討しているのは、著作権違反に問わない行為を、著作物の付随的な利用にとどめる方向であるとのことです。例としては、①広告で利用する写真にたまたま美術品などが写り込んでいるケース、②合法的な利用に必要なケース(CDをインターネット配信する場合のサーバーでの楽曲複製など)、③本来の利用でない複製(言語分析のために小説を複写するなど)が想定されているとのことです。
上記①乃至③の例示自体は、わかりやすいといえばわかりやすいのですが、これだけでは問題となる事例について全て網羅しているとまではいえないようにも思われます。たとえば、①の事例であっても、写り込んでいる「美術品」が広告の中核的なイメージを構成している場合は、はたしてそれが「付随的」な利用といいきれるのかについて疑問なしとしませんし、③本来の利用でない複製について、それが原著作物の著作者の意図しない、その名誉を害するような利用方法についても許容してしまう余地がないのかについて疑問が残るといえます。
ただ、「フェアユースの法理」自体、先にも述べましたとおり曖昧さを残す概念ですので、実際にどのような場合にこの法理が適用されて著作権違反とされないのかは、結局のところ、事例や判例の蓄積によるところが大きいといえるかもしれません。この「日本版フェアユース」については、引き続き議論・立法の行方を注視したいと思います。