1 訴訟提起後の交渉

 交渉が決裂して、いよいよ裁判。
 あなたは、債権を回収するために訴訟を起こしました。
 請求額は500万円。勝訴率は65%と見積もりました。弁護士費用を含む訴訟費用は100万円です。そうすると、あなたの期待利益は、

500万円×65%-100万円=225万円

 採算が取れると考えて訴訟を起こしました。

 しかし、裁判が始まったからといって、必ずしも判決をもらうことが最適な解決だとは限りません。仮に勝訴しても相手に控訴されるかもしれません。そうすると、控訴審のために追加コストがかかります。また、全面敗訴してしまった場合あなたの回収額は0円ですが、訴訟費用に100万円費やしてしまっているので100万円の赤字です。これを回収するためには、控訴するしかないでしょう。ここでまた余計な追加コストがかかってしまいます。でも、控訴したからといって勝訴できるとは限りませんよね。また敗訴してしまったら、追加コストがかかった分だけ赤字が広がります。徒にあたなの傷口を広げるだけです。
 ちなみに、あなたが訴えた被告も似たような状況に置かれています。したがって、裁判が始まった後でさえも、交渉による解決、すなわち「和解」が紛争解決の最適解なのです(和解が経済学的に最適解であることについては、私の経済学修士の学位論文でもあるので、別の機会にこのブログで書きたいと思っています)。

 こうした背景があるため、原告と被告のどちらに有利な裁判であれ、ほとんどの裁判が和解で終結するというのが現状です。
 そうすると、訴訟が始まった後でも、交渉が継続するのが通常です。裁判前の交渉と違うのは、中立的な裁判所が仲介しながら交渉が進められる点です。

2 訴訟は生き物

 当初あなたは、勝訴を見越して裁判を始めたはずです。
 しかし、訴訟は生き物です。お互いが証拠を出し合い、主張・反論を繰り返す中で、だんだん旗色が悪くなってくる、なんてことは珍しくありません。

 そして、あなたの悪い予感が当たり、裁判官が50万円の和解案を提案してきました。500万円請求している裁判で裁判官が50万円という少額の和解額を提案してくるということは、判決を取った場合、あなたが全面的に敗訴する公算が高いです。要するに、あなたの顔を立てるために、0円というわけにはいかないから、被告に50万円程度支払わせて和解で終結させようというのが裁判官の腹です。

 しかし、あなたは訴訟費用としてすでに100万円支出しています。それなのに、わずか50万円の和解金では、

50万円-100万円=-50万円

 となり、50万円の赤字になってしまいます。
 あなたとしては、50万円の和解金で納得して裁判官の提案を受け入れるべきでしょうか、それとも支出した100万円を超える和解額でない以上、これを拒絶すべきでしょうか。

3 サンク・コストは無視する

 裁判官の提案を受け入れるべきというのが回答です。
 なぜかというと、すでに支出した100万円は、いわゆるサンク・コスト(埋没費用)なので、この支出額は和解に応じるか否かを判断する際には無視すべきだからです。
 サンク・コストを無視するとなると、

50万円-0円=50万円

 ですから、50万円の黒字になります。
 「そんなバカな!100万円支出しているのに、コストを0円として考えるなんて不合理だ」と思われる方には、次のように考えてもらえば、分かりやすいと思います。

 和解した場合 50万円-100万円=-50万円
 敗訴した場合  0円-100万円=-100万円

 どうです?和解をけって敗訴すれば回収額は0円です。しかし、訴訟費用100万円を支出してますから、収支は-100万円です。これに対し、和解して50万円回収すれば、-50万円ですみます。
 -100万円と-50万円を比較したら、-50万円のほうが50万円得しています。これはサンク・コストを無視すれば、50万円黒字であるのと同じ意味です。和解に応じようが応じまいが、すでに支出した100万円は戻ってきません。別の見方をすれば、和解した場合の計算式にも敗訴した場合の計算式にも、いずれも「-100万円」が入ってますよね。これは、要するに、どちらを選択しても、100万円はマイナスされてしまうので、選択肢の間で有利・不利はないということになります。だから、無視してよいのです。

 この理屈がわからずに、「100万円支出したのに、50万円しか回収できないのでは、裁判をやった意味がない。50万円なんかじゃ納得できない」と言って、裁判所の和解案を蹴飛ばしている人がいます。
 もし時間を訴訟提起前に戻せるのであれば、この裁判は確かにやらないほうがいいでしょう。
 しかし、すでに訴訟を起こして100万円を支出してしまったのです。覆水盆に返らずです。あなたにとって、和解案を拒否することではなく、これを受け入れるのが紛争解決の最適解です。