1.執行役員は経営者か?
執行役員の会社との関係における契約形態には、大別して、「委任型」、 「雇用型」、「混合型」があります。
執行役員を経営者として位置づけたいのであれば、取締役と同様に委任型が理想です。会社に雇われているわけではなく、会社(株主)から経営を委任されていると考えることによって、労働基準法を初めとする労働者保護のための法規制を排除することができます。経営者としての自覚を持ってもらい、また、経営者としての責任を問うためにも、委任型として位置づけるのが理想的だと言えます。社内で制度設計する際も、委任契約であることを前提とした執行役員規程となるでしょう。
しかし、私は、現行法上、執行役員制度を委任型で導入するのは難しいのではないかと考えています。前回、執行役員が法制度上のものではないことから、柔軟な制度設計が可能だと書きましたが、法制度上のものではないことがここで一定の制約となります。
なぜならば、法律が予定していないものである以上、現行法上の諸制度と矛盾するものは認めがたいからです。例えば、会社法は取締役を予定していますが、執行役員は予定していません。
会社は取締役に経営を委託しているのに、、「執行」という経営の重要部分をさらに別の人に委託してもいいのでしょうか?株主が経営を任せたのは、あくまでも取締役であって執行役員ではありません。また、そもそも執行役員を株主代表訴訟の対象にできるのでしょうか?おそらく、執行役員の責任も含めて、株主に対して最終的な経営責任は、取締役が負っているのではないでしょうか?
さらに、執行役員に代表権を与えることは、そもそも可能なのでしょうか?現行法上は、代表取締役でなければ、執行役員に代表権を与えることはできないと思います。たとえ、”CEO”という肩書きでもです。会社法がそのような事態を想定していませんから。
よく、”代表取締役兼CEO”という肩書きの人を見ますが、CEOが会社の代表者として振る舞えるように、代表取締役の地位を兼ねさせているのだと思います。
2.現状では、雇用型が無難
会社法が、委員会等設置会社をのぞき、取締役しか経営陣として想定していない以上、法制度にない経営者を創出することは困難だと思います。
雇用型であれば、会社に雇用されているにすぎないことから、取締役という制度と矛盾・混乱が生じることもまりません。経営者として株主に責任を負っているのも、取締役だけです。
しかし、そうすると、執行役員制度のメリットはなくなるのではないか、という疑問も出てくるでしょう。確かに、経営責任をとれない人に経営を任せることはできません。したがって、執行役員の権限や責任、職務範囲も雇用契約の範疇で考えざるを得ないことになります。その意味では、執行役員制度の役割にも限界があると思います。
ただ、だからといって、執行役員制度の価値が全くなくなったとは思えません。
この点、ヒントになるのが、部長職などの、いわゆる管理職と呼ばれている人たちの権限・職務範囲です。
管理職と呼ばれる人たちが、経営の日常的なマネジメントの大部分を行っていることは疑う余地がないでしょう。
しかし、どこまでが経営者である取締役が行うべきもので、どこまでが管理職クラスの人たちにやらせてよいものなのか、実はそのあたりの線引きが難しいのです。
判例の中には、部長職について、雇用契約であることを基本としつつも、その任されている職務の内容から考えて、委任的色彩があることも考慮して、一般の労働者と同等の保護を否定したものがあります(東京地裁判決昭和45年3月10日、判例タイムズ247号253頁)。
要するに、部長等の管理職の人たちは、経営に片足を突っ込んでいるということです。
したがって、執行役員に関しても、管理職の最高級のポジションとして、経営的色彩の強い職務を担当させたり責任を負わせたりすることは、制度設計として十分可能と思われます。
実際に、執行役員制度を導入した日本企業の多くは、雇用型を採用しているようです。
3.混合型は?
観念的には混合型の執行役員というのもありえますが、個人的にはあまり実益のある議論だとは思いません。
なぜならば、部長職などの管理職でさえ、前述したように委任的色彩を一部持っており、経営に片足を突っ込んでいるのです。その意味で、部長職でさえ、”混合型”と言える余地があるのです。
いわんや、執行役員にもなれば、雇用型でも制度設計するときには、経営者的な職掌に及ぶはずで、ある意味、すべての雇用型の制度設計が雇用をベースに委任的要素を加えた混合型の制度設計になるからです。
要するに、”混合型”という言葉の問題ではなく、その権限と責任の内容をどのように規定するかという中身の問題です。