出張先へ向かう列車の中からの更新です。
雪解けの影響か、木曽川の水量がとても豊かで、
信州の地にも春の訪れを感じさせてくれます。
さて先日、Newsweek紙を読んでいたところ、興味深い記事を見つけました。
少し専門的なお話にはなってしまいますが、ご紹介させていただければと思います。
“My Genes Did It!(遺伝子のせいだ!)”
http://mag.newsweek.com/2014/03/14/genes.html
概訳すると、
「ヒトゲノムの解析が進み、犯罪者の多くが共通した遺伝子を持っていることが明らかになりつつある。逆に言えば、当該遺伝子を持っている人は罪を犯しやすいと考えられ、さらにすすんで、犯罪は遺伝子によって引き起こされたともいえるのではないか。」という論調です。
相当な論理の飛躍があるようにも思える見解ですが、アメリカ・Arkansas州では、第1級殺人(capital murder)で訴追がなされた事件で、「被告人がかように残虐な行為に及んだのは、被告人の遺伝子が影響している」との弁論がなされ、結果的に極刑が回避され終身刑となったケースが実際にあるというのですから驚きです。
(Sentence on 13/04/2012 in Arkansas. 事件の内容は以下のブログに詳しいです。
http://jimfishertruecrime.blogspot.jp/2012/04/score-one-for-devil-arkansas-church.html)
判決の全文を見つけることができなかったので、判断にあたって遺伝子の点がどれほど重視されたのかはわかりません。
殺されたのが80歳の女性であり、「彼女も被告人が死刑となることを望んではいないはずだ」という陪審の意見もあっての上で終身刑という結論が下されたものと推察されますが、むしろ私にとっての驚きは、遺伝子についての弁護人側の主張が、弁解の余地がなく苦し紛れに出されたものではなく、心理学者や精神医学者などの専門家を証人として法廷に招き、専門的知見に基づいて真っ向から立証されたものであるという点です。
限られた時間と資金のなかで活動しなければならない公選弁護人にとって、「およそ通る余地もない」主張のために、専門家を二人も連れてきて尋問する余裕があるとは考えにくい。前述のArkansasのケースでは、弁護人は、「遺伝子原因説」とでもいうべき筋が正当性あるものと信じて弁護活動を行ったとしか思えません。
このような「遺伝子原因説」は、これまでの刑事司法において積み上げられてきた責任論の枠を超えた議論です。
国家機関が刑事作用に基づいて犯罪者を処罰できる根拠は、法に基づいた構成要件該当性を前提として、当該行為が違法であること、当該行為者が責任を負うべきであるといえること、という3要素に分解されるというのが、今日の刑法学における通説的見解です。
この「責任」が阻却される理由として、行為時の心神喪失とか精神疾患などがよく主張されるわけですが、これらは、「そもそも法に基づく規範に行為者が直面し得なかった(あるいは、規範に直面したとしても、当該規範の範疇にとどまることを期待し得なかった)という点に責任非難を阻却する根拠を求めます。逆に言えば、規範の存在を認識した上で、敢えてそれを乗り越えて反規範的行為に出た」と認められる限り、責任故意を否定することはできないはずです。
しかし、「彼が犯罪行為に及んだのは遺伝子のせいだ」という論証が成り立ったとき、言い換えれば「その遺伝子を持っていなければ当該犯罪を行うことはなかった」というところまで突き詰めることができたとき、その人は行為責任を負うべきなのでしょうか。
ここまでいくと、もはや哲学の世界です。
このことで同僚の弁護士と議論していたら、「生来的犯罪人説」という話題に行き当たりました。Cesare Lombrosoというイタリアの刑事学・犯罪人類学者が唱えた学説で、発表当時から批判も多かったようですが、「遺伝子原因説」は、形を変えた生来的犯罪人説そのものではないか。
・・・これ以上議論を大展開するのは、本ブログの趣旨からあまりにも逸脱してしまうので、このへんで収束させておくことにしたいと思います。
前述のブログでは、記事の筆者も「遺伝子原因説」の主張に対して「No kidding.(ふざけてるね。)」とコメントしており、犯罪の原因が遺伝子であるとの見解はアメリカでもまだまだ市民権を得ているわけではなさそうです。 しかし、今後さらに遺伝子分析が進み、特定の遺伝子と犯罪行為の相関性が高いレベルで立証されるようになれば、刑事学の常識もあっさりと塗り替えられてしまうかもしれません。 今後の研究の進展に注目しておきたいところです。