はじめに

 「どうして九両(くれよう)三分二朱」などという言葉があります。江戸時代には、「十両を盗んだら死罪」とされていたそうで、盗んだ金額が「十両」に満たない「九両三分二朱」だと死罪にはできない、ということから生まれた言葉だとされています。

 この言葉の使い方としては、死罪を免れるためにあえて十両に満たない金額を盗んだふてぶてしい盗人を前に奉行が「どうしたものか」と思案しているときに使う言葉だとか、被害を受けた側が「十両盗まれた」と届け出ると犯人が捕まった時に死罪にされると寝覚めが悪いからあえて少ない金額で届けようか思案しているときに使う言葉だとかいろいろ言われていますが、「現代の刑事法について書く」というブログの趣旨から外れすぎますので割愛させていただきます。

 いずれにせよ、十両を超える金額を盗んだかどうかで扱いが違ったという話ではあります。