そこで、”心の鍛え方”について考えてみたいと思います。
ここで、簡単なアナロジーで考えてみましょう。
まず、カラダを鍛えたかったら皆さん何をしますか?おそらく、筋トレをやったり、走ったりと、運動をすればよいと答える人が多いでしょう。
その通りだと思います。
では、頭脳を鍛えたかったらどうしますか?カラダを使えばカラダを鍛えられるのと同じように、頭を使えば頭も鍛えられます。つまり、能書き言わずに勉強すればいいのです。勉強すれば頭を鍛えられます。
このアナロジーで考えれば、心はどうすれば鍛えられるのでしょうか。
そうです。筋トレや勉強と同じように、心をいじめればよいのです。つまり、悲しい出来事や苦しいことに遭遇したら、「おお、心の筋トレのチャンスがまた来たぞ。これで、オレの心はさらにパワー・アップだ!」と考えて、積極的に挑むことです。
ここで重要なのは、「積極的に挑む」という姿勢です。不幸な出来事を「不運」と捉えるのではなく、「心の筋トレ」をしていると思えばいいわけです。ジムでベンチプレスをやりながら、「なんでオレはベンチプレスをやる羽目になったんだろう。オレはなんて不運なんだ」と思う人いませんよね。鍛えたいから自分の意志でやってるんですよね。でも、筋トレは確実に筋肉に負担をかけ、いじめているんですよ。
人生の難事に遭遇したときもこのような姿勢で臨めば、まず心が折れることはないと思います。好きで人生の難事に挑んでいるんですから、鍛えられる自分のことを想像すれば、逆にうきうきするはずです。これができれば鬱病なんてなりようがありません。
実は、これってボクの持論ではなくて、洋の東西を問わず、偉人・哲人が語ってきたことです。
王陽明の「伝習録」にもそっくりなことが書いてあって、「事情磨錬」という言葉で表現しています(錬磨ではなくて磨錬です)。知行合一と並んで陽明学の中核的思想のひとつとなっています。
また、幕末の儒学者である佐藤一齋もその著書「言志四録」の中で、「およそ艱難辛苦は、天が我才を老熟させるためのものなり」と述べています。
だから、苦労に遭遇したら、「何とかして切り抜けよう」ではなく、「さて、どうやって処理してやろうか」と手ぐすね引いて待ち構えてやればよいのです
これで、人生の難問解決のスペシャリストとしてみなさんの経験値が増大すること必定です。鬱病や自殺とは無縁の人生になると思います。