弁護士 金﨑 浩之 

 性善説・性悪説は、知っている人も多いと思いますが、いずれも中国古代からある思想哲学です。
 性善説は孟子が、性悪説は荀子が説きました。

 アメリカ式の経営は性悪説に依拠しているという見方が一般的ですが、日本式経営では性善説の方が支持者が多いようです。

 少し古いですが、日本監査役協会が平成15年度に実施した企業トップに対するアンケートでは、「部下を信用する性善説経営ではなく、性悪説で経営にあたるべきだ」という設問に対して、「そう思う」と回答したのは1%以下だったそうです。逆に「そう思わない」と答えた人は52%、「どちらとも言えない」と答えたのは12%だったそうです(間藤大和・平野俊昭・中村直人著「監査役ハンドブック・第2版」商事法務)。

 日本監査役協会が実施しているアンケート調査であることから、対象企業はいずれも上場企業だと思いますので、回答者は上場企業の経営トップだと思われます。

 このアンケート結果から言えることは、性悪説的な経営を必要だと感じている経営トップはわずかで、過半数以上の経営者はこれを否定しています。
 これはちょっと意外でした。

 でも、興味深いのは、同じく同協会が実施したアンケートで、「自社では、公表されているような不祥事はまず起こりえない」という設問に対して、肯定的な回答をしている人が過半数を占め、「そう思わない」と答えた人は約20%だったそうです(前掲書)。
 新聞やテレビなどで公表された企業の不祥事について、多くの上場企業トップは、「自社には関係ない」と思っているようです。
 この認識って、ちょっと甘くないかな、と思います。

 性善説と性悪説のどちらか一方に割り切って経営できないと思いますので、ボクだったら、性善説60%、性悪説40%というバランス感覚で組織のマネジメントにあたります。
 一応性善説のほうが性悪説を上まわるんですけど、8対2とか7対3と言えないところが微妙なんです。性悪説を4割考慮すると言うことは、実感としてだいぶ考慮しているんですね。つまり、性悪説をかなりの程度念頭に置いた性善説なんです。

 基本的に一緒に仕事をする以上、信頼関係がベースにないと、良い仕事はできません。
 したがって、最初から部下を疑ってかかるのは避けるべきだと思うんです。これが性善説を出発点として考える所以です。

 しかし、合理的疑いを持つべき場面に遭遇しながら、「いや、それでもオレはあいつを信用している」という姿勢で臨むのは、”経営者失格”を通り越して、ただのバカだと思います。
 部下の問題行動が大きな不祥事に発展することは十分ありえますし、部下の裏切りが組織に大きな損害を与えることも起こりえます。
 経営者である以上、顧客と従業員に対して大きな責任を負っています。
 したがって、部下に対する信頼は、”根拠がある信頼”でなければならず、盲目的信頼は経営者としての責任放棄であるとすら言えるでしょう。

 また、問題の軽重を考慮したバランス感覚も必要で、ケースバイケースで清濁併せのむ器量も必要だと思います。
 ボクなりの基準としては、顧客から信頼を失いかねない問題を起こした部下に対しては厳しい処分を検討しますが、対外的な信頼に直結しない問題の場合には大目に見ることにしています。
 例えば、以前、通勤交通費を水増し請求していた従業員を発見したことがあったのですが、叱責はしたものの、何らの処分もしませんでした。従業員も、いわゆる”生活の知恵”として、この程度の悪知恵は働かせるものです。

 経営者と従業員は、”同じ舟に乗っている”という意味では利害が一致しているし、一致させるべきなんですけれども、各論レベルでは利害が対立しています。特に、従業員は自己のミスを隠蔽したいという誘惑に駆られます。小さいミスなら良いのですが、大きなミスだとこれが発覚したときにはマスコミで騒がれる不祥事に発展してしまいます。

 したがって、経営者としては、部下と信頼関係を構築するという意味で性善説的な接し方が基本となるのは賛成なんですが、性悪説的なアンテナもある程度立てておかないと足下をすくわれると思います。
 そこで、性善説6・性悪説4というバランスがちょうど良いのではないかと思うんです。