I. 事案の概要
Y社は情報処理システムの開発等を目的とする会社です。30歳代の女性であったAは、Y社の福岡事業所でシステムエンジニアとして勤務していました。Y社は某システムの改修案件をクライアントから受注し、Aは当該システムの設計、テスト等の各作業を担当することになりましたが、当該案件はクライアントからの納期厳守の要求が厳しい一方で、相次いで仕様の追加や変更が生じる性質のものでした。そのため、Aの業務量は増大し、Aは1ヶ月あたり約128時間の時間外労働を余儀なくされるに至りました。Aは夜を徹して朝の5時まで作業を進めましたが、作業手順に誤りが発見されたため、Aらは作業をやり直さざるを得なくなりました。その翌日にAは、就労中に突然失踪し、A宅で夜中に手首を切る、次の日の朝にカーテンレールにロープを掛けて首を吊ろうとする、といった方法で自殺を図りましたが、カーテンレールが重みに耐えかねて床に落下する等の事情により、Aの自殺は未遂に終わりました。Aが失踪した日の翌日にAの同僚らがA宅を訪れましたが、Aは終始うつむき加減で視線を合わせようとせず「会社を出た後、川に飛び込もうかずっと考えながらさまよっていた。」などと述べ、「すいません。」と何度も繰り返す状態でした。
Aの上長である事業所長Bは、Aが自殺を図ったことをAの同僚から聞き、Aに休養するように伝えました。もっとも、BはY社の本社に対してAが当面就業できる状態にない旨を報告したのみで、Aが自殺未遂をしたことについては報告をしませんでした。
Aは休職している間にBに対し復職を希望する旨を多数回にわたり伝え、約1ヶ月間休職した後に、復帰前と同じプロジェクトの支援チームとして、東京の事業所における業務に従事することになりました。
Aは復職した当日に午前9時から翌日の午前2時30分まで勤務し(時間外労働は約8時間)、その翌々日以降も1日あたり13時間を超える勤務を続けました。
復職して5日勤務した後、Aが滞在中のホテルのベッドで死亡しているのが発見されました。死因は心臓性突然死を含む心停止でした。
Aの相続人であるXらは、Aの死亡はY社における業務の過重性に起因するものであるとして、Y社に対して総額約8225万円の損害賠償請求訴訟を提起しました。裁判では、①Aの死亡が業務の過重性と因果関係を有するか、②Aの死亡結果についてY社に責任を負う原因があったといえるか、という点が主要な争点となりました。
Ⅱ. 福岡地裁平成24年10月11日判決
Aの死亡が業務の過重性と因果関係を有するか
裁判所は、いわゆる電通事件最高裁判決(最判小平成12年3月24日うつ病自殺について企業の安全配慮義務違反を指摘したリーディングケース)を引用し、「労働者が労働日に長時間にわたり業務に従事する状況が継続するなどして、疲労や心理的負荷等が過度に蓄積すると、労働者の心身の健康を損なう危険のあることは、周知のところ」と判断したうえで、厚生労働省の定める認定基準を参考にしながら、Aが死亡する直前の時間外労働時間等を検討しました。
そして、「当時のAの業務量・業務内容は、医学経験則に照らし、脳・心臓疾患の発症の基礎となる血管病変等をその自然的経過を超えて著しく増悪させ得ることが客観的に認められる負荷に該当し、その結果、Aについて心臓性突然死を含む心停止を発症させた」と判断し、Aの死亡が業務の過重性と因果関係を有することを認定しました。
Aの死亡結果についてY社に責任を負う原因があったといえるか
この点についても裁判所は電通事件最高裁判決を参照して、「使用者は、その雇用する労働者に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負う」と判断しました。そして、Aの業務過重をY社が把握していたにもかかわらず、Y社がチームの人員を増やしたり、Aに休暇等を取らせたりするなどの措置を具体的に講じていた様子がうかがわれないことや、Aが自殺未遂をしており、Aに疲労や心理的負荷等が蓄積していたであろうことをY社は容易に認識しうる立場であったにもかかわらず、Aの職場復帰後にY社が「Aに対し、休職中の過ごし方や現時点における健康状態につき確認したこともなかったし、復帰先の事業所に対し、Aの自殺未遂の件につき申し送りをしたこともなく、勤務軽減措置を講じるよう求めたこともなかった」ことを重視して、Y社に上記義務(過重労働による疲労や心理的負荷により労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務)の懈怠があったことを認めました。
Y社は、Aの死亡結果について予見可能性がなかったことを主張して争っていましたが、裁判所は、過重労働による疲労や心理的負荷等が過度に蓄積すると労働者の心身の健康を損なう危険のあることは周知のところであり、かつ、Aの業務量・内容が過重負荷なものであり、Y社はそのことを認識し又は認識し得べき立場にあったのであるから、Y社にはAの死亡について予見可能性があったと認定しました。
結論
結局、本件では、Y社に労働契約上の債務不履行責任又は不法行為に基づく責任があると判断され、Y社には7800万円超の損害賠償責任が認められ、労災保険給付等を控除した約6800万円の請求が認められました。
Ⅲ. 本裁判例から見る実務における留意事項
本裁判例は、従業員の業務が過重であり、従業員の健康状態悪化を顕す兆候があったにもかかわらず、会社が勤務軽減措置を講じないことは、使用者としての安全配慮義務に違反することをあらためて示しました。
あわせて、本裁判例は、メンタルヘルスの問題等により体調を崩して休職した従業員を職場復帰させるときには、復帰後の環境等について特段の配慮を行うことを要求しているとみることができます。この点について、具体的な配慮としては、従業員に対し休職中の過ごし方について聴取をする、現時点における健康状態について医師の診断書の提出を求めるなどして、従業員の心身の状態が客観的に復職可能な状態であるかを慎重に見極めることが大切であると考えられます。また、休職した原因が業務の過重性及び精神的負担にあったのであれば、残業・深夜業務の禁止を命じる、軽作業や定型業務への従事を命じる等により労働負荷を軽減し、様子をみながら段階的に元の業務へ戻していく、といった配慮が重要になると考えられます。そのほか、復職後の現場の直属の上司らに申し送りをして、可能な限り復職後の従業員のケアがなされるように依頼しておくなどといった措置も重要と考えられます。
なお、メンタルヘルスの問題等により休職した従業員を職場復帰させる際のマニュアルとして、厚生労働省等が「心の健康問題により休業した労働者の職場復帰支援の手引き」を作成しており、参考になります。