1. はじめに
労働契約法には、就業規則変更による不利益変更に関する規定として、9条、10条が置かれています。
9条は、就業規則の変更によって労働条件を労働者にとって不利に変更する場合、10条に定める例外(合理性と周知性の要件を満たす必要があります。)に該当する場合を除き、原則として、労働者との合意が必要となる旨定めています。
この9条を反対解釈すれば、会社は、労働者の合意さえ得れば、就業規則を変更することができるようにも読めます。会社としては、10条に定める例外要件をクリアするのはハードルが高いことから、9条に言う「労働者との合意」が認められれば、就業規則を変更しやすくなります。
では、9条にいう「労働者との合意」の有無の認定について、裁判所はどのような態度を取っているのでしょうか。最近、この点を取り上げた裁判例がありますので、以下でご紹介します。
2. 大阪高裁 平成22年3月18日判決
Xは、タレントのマネジメント等を業とするY会社に勤務していたところ、平成19年8月に退職しました。Xは、平成6年の退職金規程に基づき、Y会社に対し、退職金の支払いを求めたところ、Y会社は、平成6年の退職金規程は、平成7年補則事項(平成6年規程で算定される額の3分の2に減額。)、平成10年規程(平成6年規程の半額に減額。)、平成15年規程(退職金を不支給とする。)の3度にわたり改訂され、結果的に、Xの退職金は不支給になったとして、支払いを拒みました。そこで、Xが訴訟を提起しました。
本件での中心的争点は、Xが、退職金の減額・不支給という不利益変更に同意したことで、労働条件が変更されたか否かです。
すなわち、平成7年補則事項は、平成6年規程に追加されたもので、平成6年規程の表紙には、Xを含む従業員全員の押印がありました。平成10年規程には、「前記の就業規則…を閲覧し、同意致します」と不動文字で記載され、Xを含む従業員全員の署名押印がありました。さらに、平成15年規程末尾にも、「就業規則の内容を確認し、内容に同意します。」と手書きで記載され、従業員代表2名の署名押印がありました。Y会社は、これらをもって、就業規則の不利益変更に必要な「労働者との合意」があったと主張したのです。
これに対し、大阪高裁は、労働契約法9条の合意があった場合、合理性等は要件でなくなるが、かかる合意の認定は慎重にすべきであり、単に、労働者が就業規則の変更を提示されて異議を述べなかったからといったことだけで認定すべきではないとしました。
その上で、平成7年の補則事項については、3分の2という減額内容は明確であり、減額程度も少ないこと、各自の捺印行為は、慎重かつ明示的に行われた意思表示といえること、当時Xらに格別大きな不満があったとか、渋々押捺したといったこともなかったとして、Xとの合意があった旨判示しました。
他方で、平成10年規程については、就業規則の内容について具体的かつ明確な説明をしたとは認められず、Y会社が企業経営上危機に瀕していた(さらには、従業員がこのことを理解して同意した)という事情もないことから、平成10年規程にある不動文字や署名押印の存在にかかわらず、Xの真の合意があったとは言えない旨判示しました。
同じく、平成15年規程についても、Xを含む従業員との合意を得たものとは認められない旨判示しました。
3. 解説
上記大阪高裁は、9条の反対解釈を認めつつ、同条にいう「労働者との合意」は慎重に判定すべきであるとの態度を示しました。
大阪高裁が上記態度を取った主な理由としては、10条の例外要件(特に合理性)とのバランスという点が考えられます。すなわち、10条の合理性の有無は、就業規則変更によって受ける労働者の不利益の程度や、変更の必要性などの諸要素の総合考慮によって判定され、特に賃金などの基本的労働条件については、判例は、合理性を認めるのに慎重です。一方で、9条にいう「労働者との合意」が認められれば、この合理性の要件を満たすか検討するまでもなく、労働条件の不利益変更が認められることになります。言うなれば、合理性のない就業規則変更であっても、「労働者との合意」があれば、当該就業規則が労働条件の内容になるということです。
このように、「労働者との合意」は、これを安易に認めると、10条の例外要件とのバランスを欠くことになるが故に、裁判所は、「労働者との合意」の認定に慎重であると考えられます。
そのため、会社としては、基本的に、9条の「労働者との合意」は、容易には認められないということをまず理解しておく必要があると思います。上記大阪高裁が、「単に労働者が就業規則の変更を提示されて異議を述べなかったといったことだけで認定すべきものではない」と判示したのも、慎重な態度の現れと言えます。
上記大阪高裁は、慎重な態度を取ることを前提に、合意の真意性の判断基準として、①署名捺印行為の有無、②会社の経営が窮境にあることを理解した上で同意したか、③変更後の就業規則の具体的内容についての明確な説明の有無、④変更に対する不満の有無・程度、⑤減額の程度といった点を提示しました。
ただし、①については、労働者が、会社から心理的抑圧を受けて署名捺印したということも考えられるから、署名捺印前後の会社からの説明・説得の事実に対する評価なしに取り上げるのは危険であるという考え方がある他、③についても、単に説明したというだけでは足りず、労働者が何らかの事実上、法律上の利益が得られると信頼した等、不利益を受けるにつき合理的な事情が存在したことが必要であるとする考え方もあります。
いずれにせよ、上記大阪高裁の提示した判断基準全てを満たすことから、必ず9条の「労働者との合意」が認められるとは限らないと考えられます。
会社としては、10条によらずに9条によったとしても、実質的には、10条にいう合理性の要件並みに厳格な判断がされる可能性が高いことを見越して、早期から入念な証拠収集をした方が良いと考えられます。