Ⅰ 事案の概要
本件は、Y社に雇用されていたXが通勤費を不正受給していたことを原因とする諭旨退職処分の有効性に関する紛争です。
Y社において通勤手当の支給に関し、従業員から提出される通勤状況届に基づいてY社の承認を経て、合理的な範囲内で支給されるとともに、通勤経路又は通勤方法の変更があった場合が通勤状況届の届出事由とされていました。
また、Y社の就業規則には懲戒事由として「就業上必要な届出事項について、Y社を偽ったとき」[就業規則56条(4)]及び「職務に関し不当な利益を得、または得ようとしたとき」[同条(5)]という定めがなされていました。
一方で、Xは、Y社に入社した平成8年に通勤経路に関し通勤状況届を提出し、Y社の承認を得たところ、平成21年6月頃から平成23年10月頃まで、通勤経路を変更した旨の申告をしないまま、申告経路とは異なる経路で通勤するとともに、申告経路とは異なる区間の定期券(申告経路よりも6か月あたり2万5330円安いもの)を購入していました。
そこで、Y社は、Xの行為の内、通勤状況届の提出が必要にもかかわらず提出しなかった点につき、「就業上必要な届出事項について、Y社を偽ったとき」に該当するとし、申告経路よりも安価な定期券を購入し差額分の利得を得たことにつき、「職務に関し不当な利益を得、または得ようとしたとき」に該当するものとし、諭旨退職処分としました。
なお、この間、Y社はXの行為が懲戒解雇事由にもなることを示しながらXに弁明の機会を与えたものの、Xは経路を釈明するのみで反省の態度は見られませんでした。
Ⅱ 裁判所の判断
裁判所は下記のような理由を述べて、Y社による諭旨退職処分を無効としました(注:括弧内は作者記載によります)。
(1) 通勤状況届の不提出について[就業規則56条(4)について]
(XがYに対し通勤状況届を提出する必要があったにもかかわらず提出しなかったことは)、まず「就業上必要な届出事項について、Y社を偽ったとき」に該当するというべきである。すなわち、Y社においては、通勤手当の支給に関し、職員の通常の通勤状況の届出を踏まえて合理的な範囲内で支給するものとされていることや、当該届出事由として通勤経路又は通勤方法の変更があった場合が掲げられていることから、職員は、通常の通勤経路を変更する際にはY社に対してその旨申告する義務があり、同変更を申告しないまま従前の通勤経路に基づく通勤手当を受給することは、「Y社を偽った」状態で通勤手当を受給するという意味で不正な受給に該当するというべきである。
(2) 不正受給により差額分の利得を得たことについて[就業規則56条(5)について]
就業規則56条(5)の「職務に関し不当な利益を得、または得ようとしたとき」とは、単に正規の手続きによらないで通勤手当を受給したに止まらず、不当に領得し又はその意思をもって当該行為に及ぶことを要すると解されるところ、本件全証拠をもってしても、平成21年6月以降の原告の具体的な通勤態様は明らかではなく、したがって、本件……(における申告外の経路)利用の有無ないし頻度が不明である以上、Xが本件不正受給について、金員を不当に領得し又はその意思をもって当該行為に及んでいたとまでは認めることができないというべきである。
(3) 処分の相当性について
裁判所は、以下の事情及び不正受給の額が合計15万1980円であること等から、職員としての身分をはく奪するほどに重大な懲戒処分をもって望むことは、制裁として重きにすぎる、としてY社による諭旨退職処分を無効としました。
① Y社が平成8年の通勤状況届に記載された通勤方法及びこれに基づく定期代を合理的なものと認定した上で支給しており、Xが受給してきた額は当該定期代の額の範囲に収まっていること
② Y社においては、一度通勤状況届が提出されれば、特段の審査がなされることなく通勤手当が継続されており、また職員が習い事のために迂回した場合の経路分まで支給することがあった等、支給の合理性の維持につき厳守するという企業秩序が十分に形成されていたとは言いがたいこと
③ Y社の他の職員の中には、Xが釈明した経路につき通勤手当の支給が認められる者がいたこと
Ⅲ 本判決から見る交通費の不正受給に対する対処
本判決は、交通費の不正受給は懲戒事由には該当するものの、諭旨退職以上の懲戒処分は相当性を欠くとしたものであり、不正受給に対する懲戒処分の軽重が問題ということになります。過去の裁判例の中にも、交通費の不正受給を直ちに懲戒解雇相当としたものはなく、職務怠慢等の他の事由があり、かつ交通費の不正受給の額が231万にものぼるという事例において懲戒解雇の有効性が認められた事例があるのみです。
もっとも、本判決においては、Y社の交通費に対する態度のあいまいさを指摘し、処分を不相当としている点があることから、会社において本判決を参考するに際しては、交通費の管理を厳正に行い、不正受給が企業内秩序を乱すという厳格な企業風土を作ったうえで、不正受給の額や不正受給の理由等から諭旨退職以上が相当か否かを慎重に判断すべきと考えられます。