著作権法は、「表現」を保護する法律ですが、コンピュータプログラムにおける「表現」とは一体何でしょうか。

 プログラムを作成する場合、大まかにいえば、まず、完成すべきプログラムの仕様を決めて仕様書を作成し、それに従って、人間がC言語やCOBOL等のプログラミング言語を使ってソース・プログラムを作成し、さらに、ソース・プログラムをコンパイラというソフトウェアを使って機械語に変換してオブジェクト・プログラムを作成する、という過程を経ることになります。

 このうち、仕様書は作成者の技術的な思想をプログラマーに伝達するために表現したものですので、従来の著作権法のもとでの表現にあたると考えることに問題はありません。

 また、ソース・プログラムも、そのプログラム言語の知識がある人が見れば、そこから技術的な思想を読み取ることができるので、最終的な思想の伝達先がコンピュータという機械であるとしても、従来の表現と同様に考えることができます。

 問題なのは、オブジェクト・プログラムです。オブジェクト・プログラムは機械語で書かれているので、人間には理解不能です。仮にオブジェクト・プログラムをテキストエディターで開いてみても、単なるスペースと文字化けの羅列であって、全く意味不明でしょう。そうすると、そもそも著作権法が表現を保護する目的は、思想や感情が表現によって人に伝達され、文化の発展に寄与するためだとするならば、オブジェクト・プログラムのように人間に何も伝達しないものを、表現と言ってしまってよいのか、一抹の疑問が残ります。このような理由で、従来はプログラムの著作物性を否定する考え方も有力でした。

 とはいえ、世の中で利用されているプログラムのほとんどがオブジェクト・プログラムである以上、オブジェクト・プログラムにも保護すべき表現があると解釈してプログラムの著作物にあたるとしないと、せっかく著作権法に「プログラムの著作物」を規定し、プログラムの法的保護を図ろうとした意味がなくなってしまいます。

 そうすると、結局のところ、プログラムにおける表現とは、従来の著作物の「表現」とは違うものとしてとらえ、紙に出力したソース・プログラムや、USBやハードディスクに保存したソース・プログラム、さらには人間に理解不能な機械語で書かれたオブジェクト・プログラムまで全てが表現にあたると解釈するしかないでしょう。

 なお、著作権法は「表現」を保護するものであって、アイデア自体は保護されないため、プログラムについていえば、アイデア段階のものである処理手順については、著作権法の保護の対象となりません。処理の手順に関する権利を保護したい場合には、特許によるべきことになります。

弁護士 堀真知子