借地借家法の適用を受ける建物の賃貸借契約を貸主の側から終了させるには、「正当事由」が必要とされています。(借地借家法28条)。

 では、どのような場合に、解約について「正当事由」があるとされるのでしょうか。

 正当事由の認定基準としては、伝統的に「自己使用の必要性に正当性があるか否か」があることが必要といわれています。これを判断するにあたっては、「自己使用の必要に正当性があるかどうかの判断には、賃貸人及び賃借人双方の利害得失の比較考察のほか、公益上、社会上そのほか各般の事情も斟酌しなければならない」とされています(大審院判例昭和19年9月18日。「大審院」とは、戦前でいう最高裁判所のことです)。

 この「正当事由」はどのような場合に認められるのでしょうか。その判断のメルクマールとしては、過去にも相当程度の判例が蓄積されています。最高裁判例で認められ、その後も多くの事例で主張されている正当事由の根拠は、上記「自己使用の必要」の他、「賃貸家屋の朽廃が迫り、これを大修繕するため(いわゆる「大修繕の必要性」がある場合。最高裁昭和35年4月26日)が挙げられます。

 そのほか、賃貸人側の努力で正当事由の判断根拠となるとされる事情としては、「解約申し入れを行う賃貸人が、借家人のために移転先として建物を提供して空き家にしてあるという事実(最高裁判所昭和25年2月14日判決)」、「同居者の居住の必要性(最高裁昭和25年11月16日判決)」などが挙げられます。

 では、いかなる場合に「解約申し入れに正当事由がない」として明渡請求が認められないのでしょうか。

 参考になると思われる判例をご紹介いたします。

 【東京地方裁判所平成18年11月10日判決】

 この判決の事案は、概要以下のようです。

 原告ら(X1、X2)は兄弟(X1が兄、X2が弟)であり、いずれも独身で子どもはおらず、会社役員としての給与や地代などを受領していました。
 被告ら(Y1が借地人、Y2はその上に存在する建物の賃借人)は姉妹(Y1が妹、Y2が姉)です。
 原告らとY1は、昭和59年4月23日、本件土地に着き、建物の所有を目的として、期間を20年、月額賃料を3万6220円、月末に翌月分の賃料を支払うとする賃貸借契約を結びました(以下「本件賃貸借契約」といいます)。
 その後、賃料は改定され、平成16年4月当時、10万5467円となっていました。
 本件賃貸借契約は、平成16年4月22日、20年間の期間が満了しましたが、被告らはその後も、本件土地の使用を継続するとともに、被告Y1は、原告らに対し、振り込みの方法によって、毎月賃料を支払っていました。
 原告らは、平成16年10月23日に到達した書面をもって、被告らの本件土地の使用継続に対し、異議(「本件異議」という)を述べました。

 判決は、本件異議は、「遅滞なくなされたものではない」ことを理由に、本件賃貸借契約は法定更新されているものと認定して、賃貸借契約の解約を認めませんでした。(本件賃貸借契約の本来の期間が満了したのが平成16年4月22日、「異議」の到達が同年10月23日であり、期間満了時から6回に渡り被告が原告に対して賃料を支払っているのに、原告は直ちに解約を申し入れなかったためと判示しています。

 本件賃貸借契約は、本件異議が認められず「法定更新」されていると認定された事案であり、解約申し入れが「正当事由」を有するか否かについては、本件においては必ずしも判示しなくてもよいということになるかとも思われます(なぜなら、判決の事実関係によると、明確な解約申し入れの意思表示があったとの認定がなされていないので、本件はそもそも解約申し入れの正当事由の問題ではないとも考えられるため)。

 ただ、上記「本件異議」は、解約申し入れと性質上同視できるため、判決は、念のため、「正当事由の存否」を判断するに至ったと思われます。

 では、判決は「正当事由の存否」についていかなる判断に至ったのでしょうか。

 判決は、原告(賃貸人)側の明け渡し請求の理由が、本件物件を生活上経済上の本拠として自己使用する目的ではなく売却の必要性があることを認定し、かかる売却を行うためには、賃借人らに退去を求める必要性は認められない(賃借人付きの物件のまま売却することができる)と判示しました。

 これに対し、被告Y2は、生活の本拠が本件建物であることに加え、高齢でありさしたる貯蓄などもないから、「代替家屋への転居は容易であるとはいいがたい」状況にある(本件建物をY2が継続使用する必要性が相当程度存在する)ことを認定しました。(Y1とY2は姉妹であるから、(借地人である)Y1と(借家人である)Y2を「同一視する事情があ」るということです)

 ただし、正当事由の補完事由としての立退料を考慮することも可能であるとして、立退料の相当性を検討した結果、原告側が提供した1500万円(Y1,Y2への合計額)及びこれに格段の相違のない範囲内での立退料は、正当事由を補完するのには不十分であるとして、結論として、原告らの被告らに対する本件土地建物の明渡請求を認めませんでした。

 本件は、検討すべき論点がやや技巧的に錯綜していますが、最終的に「解約申し入れに正当事由なし」(立退請求は認められない)という判断に至った根拠としては、なんといっても、Y1とY2(特に、借家人であるY2)が高齢であり、代替物件への転居などが難しいこと、原告らから適当な代替物件の紹介があったとも認められないこと、が大きいと思われます。

 一人あたり750万円という立退料の額自体は、本件の地代の約12年分であるという意味では少ない額ではないのですが、裁判所としては、「本件土地の価格が、8000万円を相当程度超えるものである・・・と評価」できること、本件建物は、老朽化が認められるとはいえまだ十分居住に耐えるものであると認められること、を重視すれば、原告らが提供すると申し出た上記立退料では不十分と判断した、ということのようです。

 本事例も、仮に原告らが立退料について、不動産鑑定の際に一般的とされている手法(前回取り上げた手法で言うと「借地権割合方式」)や、裁判所が好んで採用する手法(「賃料差額方式」)について配慮した立退料を原告らが提供していれば、判決の結論も異なった可能性が十分あります。

 原告らとしては、あまりに多額の立退料を支払うのでは、転売利益があまりとれなくてうまみがないというのが本音なのかもしれませんが、そうであれば、思い切って賃借人付きで物件全体を売却してしまうなり、「自己使用の必要性」について、さらに説得的な議論が出来るよう準備が必要だったかと思われます。(たとえば、自己に近しい親族が居住する必要性があるなどの事情を主張するなど)

弁護士 吉村亮子