1 損害の立証は困難
不正競争防止法4条本文には、「故意又は過失により不正競争を行って他人の営業上の利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責めに任ずる」と規定してあります。
したがって、退職した従業員等が、会社の営業上の秘密と漏洩し会社の営業上の利益を侵害すれば、会社は、その元従業員に対し、損害賠償請求をできることになります。
問題は、「これによって生じた損害」という部分です。元従業員がどんなに悪いことをしても、会社に損害が生じなければ、損害賠償を請求することはできません。
実は、この損害の立証は必ずしも容易ではありません。
元従業員が会社の秘密を漏えいし、会社に損害を与えた場合、会社に生じる損害として次の2つが考えられます。
1)秘密漏えい行為等の違法行為の調査費用
2)秘密の漏えいにより生じた会社の売上の減少
もちろん、会社が元従業員に請求したい損害賠償の本命は、2番目の「秘密の漏えいにより生じた会社の売上の減少」の結果被った損害です。調査費用なんかよりも、こちらのほうがはるかに高額です。
しかし、「秘密の漏えいにより生じた会社の売上の減少」を証明するのは極めて困難です。なぜなら、売上の減少は、ひとつの要因だけではなく、いくつもの要因が複雑に影響して生じるのが通常だからです。競争相手が増えたことが影響しているかもしれないし、消費者行動が変化したことが影響しているかもしれない。何らかの事情で職員の士気が下がっていることが原因かもしれない。秘密の漏えいと売上の減少した時期がたまたま重なったからといって、秘密の漏えいだけが唯一の原因であるとは言い切れません。
このような複雑な経営環境のもとで、秘密の漏えいという不正競争行為と因果関係のある会社の損害部分を特定できる場合は、むしろ稀です。
2 立証の困難性の救済規定
民事訴訟法248条は、「損害が生じたことが認められる場合において、損害の性質上その額を立証することが極めて困難であるときは、裁判所は、口頭弁論の全趣旨及び証拠調べの結果に基づき、相当な損害額を認定することができる」としています。
しかし、これは損害が生じたことが認めれる場合に限られます。損害が生じたことは明らかであるが、それを金銭評価するのが困難な場合の救済規定です。
ところが、不正競争行為によって会社に損害が生じたとしても、そもそも損害が生じたこと自体を立証できないことが多いのです。
というのは、前述したように、会社の売り上げが減少しても、不正競争行為とは無関係かもしれないからです。
ところで、立証の困難性に考慮した規定は、不正競争防止法にもあります。
同法5条1項は、営業上の利益を侵害した者が、「その侵害の行為を組成した物を譲渡したときは、その譲渡した物の数量に、被侵害者がその侵害の行為がなければ販売することができた物の単位数量当たりの利益の額を乗じて得た額……損害の額とすることができる」としています。
しかし、ここでも損害が発生していることが前提となっていますので、損害の有無が不明の場合には、この規定は適用されません。
また、5条1項は、あくまでも技術情報に限定されているため、例えば顧客情報のような営業情報の場合にも適用されません。
では、同法5条2項はどうでしょうか。
条文を読むと、営業上の利益を侵害した者が「その侵害の行為により利益を受けているときは、その利益の額は、……損害の額と推定する」と規定してあります。
この規定は、会社に損害が発生していることは明らかであるが、その額が明らかでないときに、侵害者が受けた利益と会社の損害だと推定しようという規定です。
侵害者が受けた利益の全てが被侵害者の損害額とは限りませんよね。もしかすると、侵害した者に特別な才能や営業力があって大きな利益を得たのかもしれません。しかし、侵害した者が利益を得ているのであれば、その利益の額をとりあえず被侵害者の被った損害額と推定しようという規定です。
あくまでも「推定」ですから、侵害した者の側で、損害額が利益の額と異なることを立証してこの推定を覆すことは可能です。
3 不正競争行為に対する対策
このように、民事訴訟法や不正競争防止法は、立証の困難性について、さまざまな救済規定を置いていますが、だからといって、必ずしも損害及び損害額の立証が容易になったとまでは言えないと思います。
したがって、もし営業秘密が侵害され損害を被ったとしても、その損害を回復させるためには、難しい訴訟に踏み切らなければならないという大きなリスクを抱えます。損害賠償請求訴訟のハードルは決して低くはないことを認識するべきでしょう。
そうすると、結局のところ、予防、すなわち、営業秘密の漏えいを如何に防ぐか、その対策を日ごろから万全にしておくことが重要であると思います。