1 利益とはコストである

 以前、このブログで、ドラッカーが主張する「顧客の創造」をテーマに思うところを書いてみました。
 ドラッカーを敬愛するファーストリテイリングの柳井さんが気に入っている言葉なので取り上げたのですが、実を言うと、私が最も衝撃を受けたのは、「顧客の創造」ではなく、この「利益の幻想」なのです。

「彼ら(経営者)は、利益についての初歩を知らない。彼らが日常言っていることが、会社が本来とるべき行動を妨げ、社会の理解を妨げている。なぜなら、そもそも利益なるものは存在しないということが、利益についての基本的事実だからである。存在するのはコストにすぎない。」
(「実践する経営者」ピーター・F・ドラッカー著、上田惇生訳、ダイヤモンド社)

 ドラッカーは、自信満々にこのように言い切ります。

 これを読んだときには、私の頭には衝撃が走りました。ちょっと、待ってくれ。決算書には様々な利益が記載されているではないか?売上総利益(粗利益)、営業利益、経常利益、当期純利益…。利益は歴然と存在するではないか?決算書だけの話ではない。会社はみな利益を出すために頑張っているではないか!売上を伸ばしたり、コストを削減するのは利益を出すためではないのか!それなのに、会社には利益はない?コストしかない?

2 利益は何のために存在するのか

 私は、初めはこのドラッカーの言葉の意味がよく分かりませんでした。
 いわゆる売上原価や販管費がコストなのは分かります。金融機関への支払利息がコストなのも分かります。
 税金がコストであるのも、異論の余地がありません。

 では、税引後当期純利益はどうでしょうか?
 ここから支払われる株主への利益配当はコストでしょうか?法律上は、株主は会社の所有者ということになっているので、所有者に支払う利益配当がコストというのはピンときません。でも、ファイナンスの視点で見ると、株主への利益配当もコストであるというのは納得できます。なぜなら、ファイナンスでは、経営者の視点に立って、株主に支払う利益配当を「株主資本コスト」と考えるからです。
 そうすると、株主への利益配当も一応コストか…。

 でも、配当を支払った後の残り、すなわち、内部留保金はどうでしょうか?会社が利益配当をした後の残りは、会社に内部留保されます。これはさすがに利益ではないか。
 いや、待てよ…。そもそも、何のために内部留保するんだ?

 ここまで考えたら、段々ドラッカーの言葉の意味が見えてきました。この内部留保金は、事業継続のためのコストです。
 もし事業の継続を予定していないのであれば、会社を解散し、資産も売却して負債を清算し、残りがあれば株主に対して残余財産として分配して終わりです。
 しかし、倒産した会社は別ですが、そうでなければ会社は事業の継続を予定しています。事業を継続する以上、運転資金がいります。追加投資のための資金がいります。それだけではありません。不況に襲われたときの備えにもなります。こうして考えると、私たちが通常考えている会社の利益は、確かに全べてがコストと言えそうです。

3 事業の目的は何か

 会社は営利を追求する社団法人である、というのが法律上の定義です。
 しかし、ドラッカーが言うように、会社の利益が幻想にすぎない、全てはコストであるにすぎないとすると、会社の目的って一体全体何なのか?

 ここで、柳井さんが注目する「顧客の創造」と結びついてきたんです。
 利益が幻想である以上、利益を会社の目的にはできません。利益は全てコストとして消費される運命にある以上、利益といえども事業継続のコスト、すなわち、事業目的達成の手段にすぎないことになります。
 だとすれば、会社の目的は、別のところに置かざるを得ません。会社の存在が許されるのは、顧客に価値を提供しているからです。そして、新しい価値を産みだし、新しい顧客を創造しているからです。その結果、雇用を創出し、社会に大きな便益をもたらし、社会全体に貢献しているからです。

 こうして私は、会社の目的が利益の追求ではなく、顧客の創造、社会への貢献であることを確信した次第です。

 最後に、ドラッカーの言葉を引用してこのコラムを終わりたいと思います。

「利益と社会的責任は対立しない。真のコストをカバーする収入をあげることは、会社の経済的、社会的責任である。…中略…。社会から収奪しているのは、資金のコスト、明日のリスク、明日の雇用と年金のニーズを満たす収入をあげている会社ではない。それだけの収入をあげていない会社である(1975年)」
(「実践する経営者」ピーター・F・ドラッカー著、上田惇生訳、ダイヤモンド社)