第1 はじめに

 我が国は、資本主義の経済体制を敷いています。このため、生産手段の私有が可能であり、誰でもお金さえあれば、これを使って、みんなが欲しがる物を作り出すことができます。そして、作り出した物を売ることで、さらにどんどん資産を増大させていくことが可能となるのです。

 しかし、いかにお金持ちでも、自分一人で、そういった物を作り出していくのには、限界があります。作り出す物が多くなり、利益を増大させようとする場合、物作りの手伝いをしてくれる人が必要となってくるのです。もっとも、機械的作業、単純な作業しか必要とされない場合、手伝ってくれる人は誰でもよいわけです。人間でありさえすれば、誰であってもその作業ができるからです。そうなると、そこに競争が生まれてきます。資本家は、誰でもよいのなら、できるだけ安いお金で働いてくれる人を探します。資本主義の発達当初は、数少ない資本家たちの下で、労働力を提供することしかできない多くの人々が、低賃金で過酷な労働を強いられていったのです。「ああ野麦峠」や女工哀史などを思い浮かべてもらえばよいと思います。

 労働力が欲しいという資本家側より、労働して賃金が欲しいという人たちの方が遙かに上回っているわけですから、もっとお金をくれと言ったり、そんなに長く働けないと文句を言うような人はどんどん切られてしまうのです。他方、資本家としても、安くていい物を作らなければ、他の資本家が提供する物との競争に敗れてしまいます。いつでも代替がきくため、この場合の労働者は人格、個性とは無関係な「物」に近い扱い、つまり作業をこなす機械のような存在でしかないわけです。こんな状況を野放しにしておくと、資本がなく、労働力提供だけしかできない多くの国民は、最低限度の生活すら脅かされる事態が訪れることになります。

 これを避けるために、憲法25条は、国民に生存権を、同27条は勤労権を、同28条は労働基本権を保障しているのです。

第2 労働法

 一口に労働法といっても、「労働法」という名前の法律が存在するわけではありません。憲法27条、28条や労働基準法、労働組合法、労働関係調整法など、主として労働者保護に関する個々の法令によって構成される法領域をそう呼んでいるのです。

 昭和初期には労働組合組織率が50%を超えていたこともあり、労働組合法の重要性が高かったわけですが、現在のそれは20%を割り込んでいます。このため、近時は、そういった集団的労使関係より、使用者対個々の労働者という個別的労使関係が問題となるケースの方が多いのです。

 また、最近の男女平等意識の高まり、雇用形態の多様化から、男女雇用機会均等法、労働者派遣法、短時間労働法などの法律が、次々立法・改正されています。

 そして、失業率の急増に伴い、雇用対策法、職業安定法、雇用保険法なども注目を集めています。よく「失業保険」という言葉を耳にしますが、現在、失業保険法という法律はなく、雇用保険法に改称されました。それは、失業者に対して金銭給付をするのみならず、失業を予防することをも目的とされたからです。同法において、失業者に対する金銭給付は基本手当と呼ばれ、離職前6か月間の賃金を基礎として、法定された日数分を公共職業安定所から支給されます。

第3 憲法の具体化立法

1.勤労権

 憲法27条1項は、「すべて国民は、勤労の権利を有」すると規定しています。この規定は、国、地方公共団体に対し、労働者市場を整える義務と労働の機会を得られない労働者の生活を保障する義務を課すものとされています。
 この義務の履行として、職業安定法、職業能力開発促進法、雇用保険法等が制定されています。

2.勤労の義務

 憲法27条1項は、「すべて国民は、勤労の…義務を負ふ」とも規定しています。これは、労働の能力があるのに労働意欲のない者に対して、国は生存確保のための施策を講ずる必要がないことを意味します。
 失業給付の要件として、求職活動をしていることを定める雇用保険法などはその現れです。

3.勤労条件の法定

 憲法27条2項は、「賃金、就業時間、休憩その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める」と規定しています。これは、賃金等勤労条件の決定を使用者と労働者間の契約に任せずに、「法律」で定めるべき義務を国に課すものです。
 この義務の履行として、労働基準法、最低賃金法、労働者災害補償保険法等が制定されています。

4.児童の酷使禁止

 憲法27条3項は、「児童は、これを酷使してはならない」と規定しています。これは、国に児童酷使を防止する措置を講ずる義務を課すものです。
 この義務の履行として、労働基準法の年少者保護規定(同法56条~64条)、児童福祉法があります。