1.本条約は、国際売買のスタンダードになるのか

 日本はこの条約については新参者で、日本の企業がこの条約とどうつきあっていくのかは、8月1日以降の条約発行後の日本企業の動向を見なければわかりません。
 しかし、これまでの加盟国の企業の実務的運用を見れば、かなりの程度合理的な推測はできます。

 そこで、これまでの実務の運用を見てみると、この条約は国際売買のスタンダードにはなっていないというのが実態のようです。

2.適用排除特約が原則化

 昨日のブログでも触れましたが、この条約は、契約当事者である企業が、この条約の適用を排除する旨の特約条項を契約書に入れれば、条約の適用を免れることを認めています(本条約6条)。
 そして、国際売買の実務では、この適用排除特約を入れるのが通例になっているそうです。

 条約だけが一人歩きし、加盟国もどんど増え、今や世界に通用するグローバル・スタンダードになったかのごとく見えますが、実務の現場は冷めています。
 世界各国はこの条約の普及に熱心なのに、最大の利害を負っている企業は歓迎していないんですね。

 このような現状に照らすと、日本の企業が他の加盟国の企業と物品売買取引を行う際に、これまでの実務の慣行と同様に、適用排除特約を使うことは容易に想像できます。

3.不人気の理由

 では、なぜこの条約は実務界でここまで人気がないのでしょうか。
 まず、条約の内容ですが、例えばこの条約と日本の民法の内容を比較した場合、必ずしも日本の民法のほうが優れているとは言えません。
 この条約の条文のほうが合理的な内容を定めているものもあれば、逆に日本の民法のほうが優れているように思われる条文もあります。
 これは、他の国の法律と比較しても同じだと思います。
 そもそも、この条約は、多数の国の企業が利害を負う条約なので、様々な国の意見を取り入れて作られているはずです。
 ちなみに、この条約の草案を考える作業は、国際連合国際商取引委員会というところで行います。国際機関ですから、多くの当事国からの専門家の意見を取り入れているわけです。いわば、世界中から知見が集まるわけです。
 ですから、内容的にそんなに問題があるとは思えません。

 おそらく、企業にとっては究極的には、条約でも自国の法律でも、どちらでもいいというのが本音だと思います。実際に、この条約の適用を排除しておきながら、契約の相手方の国の法律を準拠法に選ぶことには合意する企業は少なくありません。この条約が適用されるくらいなら、相手の国の法律のほうがマシなんですね。

 では、なぜそんなにこの条約を嫌うのかというと、企業の関心は、予測可能性にあるからです。
 企業経営者は、不確実性を最も嫌います。例えば、国際取引で言うと、企業にとって為替の変動は大きな関心事です。「損することもあるけど、得することもあるんだからいいじゃないか」というわけにはいきません。企業としては、得なんてしなくていいから、損もしなくないんですね。企業は、別に為替差益で儲けたいわけではなくて、ちゃんとビジネスで儲けたいんです。ビジネスは上手くいっているのに、為替差損で財務が悪化するのを嫌うんです。

 では、この話を国際物品売買条約に当てはめると、どjなるのでしょうか。
 まず、この条約には大きな不確実性が伴います。というのは、判例が集積されないからです。そして、加盟国の企業の態度を見るには、弁護士の態度がヒントになります。
 企業の実務担当者は、この問題について弁護士に相談に行ったとします。弁護士は、こう答えるでしょう。

 「この条約の条文は読めば分かりますが、実際、紛争が起こったら、裁判所がどのような解釈論を展開するかよく分かりません。判例が集積されていないからです。」

 イギリスの法格言に、

 The laymen speak of the laws. The lawyers speak of law.
 (素人は、法律について語る。しかし、法律家は、法について語る)

 というのがあります。どうしても、法律の素人は、法律の条文に何が書いてあるか、それが法律だと考え得ます。

 確かに、条文は大事なんですが、実は、条文を読むだけで分かることは少ないと思います。法律の条文はどうしても抽象的な表現にならざるを得ません。
 だから、裁判所が、その法律の立法目的や制度趣旨に照らしながら、条文の意味を解釈してその曖昧さを埋めていきます。時に、条文の文言よりも狭く解釈されたり(限定解釈)、広く解釈されたりします(拡大解釈)。それどころか、本来その法律が想定していなかったケースに、既存の条文を使ってしまう類推適用なんていうのもあります。立法の不備を埋めるためですね。

 したがって、条文しかよりどころがないと、法律の専門家は思考停止に陥ってしまう。だから、企業から相談を受けた弁護士も、予測できなくなるのです。
 弁護士が予測できないということは、弁護士に助言を求めている企業も予測できないことになります。
 したがって、この条約の不確実性はとても大きなものになってしまいます。

 こうなると、悪循環です。
 適用排除→判例集積せず→適用排除→判例集積せず、を繰り返すことになります。
 このような現象は、国内法ではありえません。

 したがって、弁護士である私のアドバイスもこうなります。

 「必ず契約書には、適用排除特約を入れてください」