1.タイ人の日本語ブーム

 2009年6月21日の日経新聞(朝刊)に、タイ人の日本語学習に関する記事が掲載されていました。

 同紙によると、「タイ人の日本語学習者はここ10年で2倍の7万人超に急増したが、教材不足」が一因で日本語力に伸び悩んでいた、そこで、日系企業や団体が、若者に人気の高いアニメや音楽(Jポップ)を教材として提供し、タイ人の日本語アップに貢献しようという動きが出ている、と報じています。

 私は、約8年前に、タイのバンコクに2年ほど住んでいたことがありますが、その時も、タイ人の日本語学習者は多かったように思います。タイの名門大学であるチュラロンコーン大学やタマサート大学には当然のように日本語学科がありますし、スタバに行くとタイ人の店員さんが気さくに日本語で話しかけてくれます。

 しかし、日本語がタイでビジネス・ツールとして通用するかどうかは別です。

2.欧米系企業では英語必須。 では、日系企業で日本語必須?

 語学の壁は、企業が海外に進出する際の参入障壁になり得ます。
 外資系のアンケートの中でも、日本市場への直接投資に消極的な理由のひとつに、”言語の壁”がよく挙げられています。

 タイに進出している、または、将来進出を考えている企業にとって、語学の問題は、考慮に入れなければならないコストです。
 欧米企業が進出先の現地の従業員に英語力を求めるのと同じように、タイに進出している日系企業としても、タイ人に日本語力を要求したいところです。
 タイには、既に約7000社の日系企業が進出していると言われています。実際のところ、どうなのでしょうか?

 私の知るところでは、タイの日系企業で使用されている言語は、原則としてタイ語です。

 使用言語が日本語ではない理由はいくつかありますが、最も大きな理由は、タイ人の日本語力がビジネス言語として使用できるレベルではないことにあります。多くの日系企業が進出し、また、日本のアニメや音楽が流行っている背景から、ある種の日本語学習ブームがあるのも事実ですが、やはりタイ人にとって日本語はマスターするのが難しい言語のようです。

 次に挙げられる理由は、タイ語が学習しやすい言語であるため、多くの日本人がタイ語を習得できちゃう点です。タイ語はアルファベット言語ではないため、一見取っつきにくいのですが、文法構造は英語よりもシンプルです。まず、未来形、過去形といった動詞の変化がありません。では、未来と過去をどのように判断するのかというと、副詞で判断します。”明日”だったら未来の話で、”昨日”だったら過去の話、といった具合です。

 また、口語体では省略が多いのも特徴です。

 例えば、”どこへ行くの?”を英語で表現すると、
 Where are you going?
 ですが、面倒くさいですよね。わざわざ be動詞を使って現在進行形に変えなければなりません。
 しかし、タイ語だと、
 バイ ナイ?(タイ文字ではなく、カタカナ表記させていただきます)
 となります。このタイ語表現を、英語に直訳すると、
 Go Where?
 です。英語にするとものすごく broken ですよね。でも、これはネイティブが使用している立派なタイ語なのです。

3.タイ人の英語力は?

 このように、いくつかの理由から、タイ・ビジネスの現場で日本人が使用している言語は基本的にタイ語であり、ほぼ定着している印象を受けます。
 タイ語で特に問題がないわけですから、どこまで日本語が巻き返すのか、私は悲観的に見ています。
 日本語の学習熱は、親日派のタイ人を増やすのに貢献するでしょうし、また、日本の文化(といっても、サブカルチャーですが)を理解してもらうのにはうってつけだと思います。
 でも、それがビジネス言語までに高まるか、については個人的には懐疑的です。

 では、タイ人の英語力についてはどうでしょうか。
 おそらく、日本の東大生とタイのチュラロンコーン大学の学生の英語力、特に、コミュニケーション能力を比較したら、タイ人のほうが上でしょう。
 でも、これはタイ人が日本人よりも語学に強いということではなく、社会的背景がありそうです。
 タイは、ご承知の通り、外資を経済発展の牽引力にしてきた国です。
 着実に自国の国内産業を育てるといった、戦後の日本がやったような政策を採用せず、外資をたくさん誘致しました。タイの国内に自動車産業がないのはその一例です。国産車がないので、タイで走っているクルマはすべて”外車”です。ちょっと驚きですよね。

 このような社会背景から、タイ人のエリート層にとって、英語は必要不可欠な言語になっています。外資に就職する一流大学卒の学生の比率も、日本なんかよりもずっと多いです。
 私が、タイに滞在していたときに、あるフランチャイズ店の買収交渉のお手伝いをしたことがありますが、その時の使用言語も英語でした。基本的に、高等教育を受けたタイ人の英語力は高いと思います。

 でも、これはタイ人のエリート層の話です。
 会社で働く一般のタイ人の英語力となると話は別で、たぶん日本と比べて事情はあまり変わらないと思います。
 タイではまだまだ貧富の差も大きく、十分な英語教育を受けられない人も大勢います。
 英語を社内の使用言語にしたら、おそらく仕事になりません。

 やはり、当面は、タイ語を使用言語としたほうが無難だと思います。
 日系企業の皆さん、頑張って勉強してくださいね。