まず、「公訴時効」とは、犯罪が行われたとしても、法律の定める期間が経過すれば、その犯人を処罰することができなくなるというものです。上の表を見れば、殺人罪の公訴時効は25年と定められていましたので、犯罪から25年が経過すると、もはやその罪を処罰することはできなくなるとされていたわけです。
 こうした公訴時効が定められているのは、長い時間の経過により証拠等が散逸するとか、長期にわたって起訴されないという事実状態が続いたことを尊重するとか、国家の負担軽減とか、いくつかの理由が示されています。

 しかし、殺人事件などの遺族などから、「家族が殺されたのに、時効で犯人が処罰されなくなるのは納得できない。公訴時効を見直してもらいたい。」という声が高まったことや、科学捜査の進展、世論の変化などを背景に、公訴時効の見直しが決められました。

 他方、刑罰は国家による人に対する重大な人権制約です。死刑の場合には命も失うことになりますので、その重大性は極大といえます。そのような刑罰を受ける可能性があるかどうかを事前に知ることができなければ、人々が自由に暮らすことは不可能になります。そこで、憲法は「罪刑法定主義」を定めています(日本国憲法第31条)。つまり、何が罪となるか、そしてそれに対してどのような罰が与えられるかについては、①法律で、②事前に、③明確に、④適正な内容で定められていなければならず、⑤法律の文言も類推解釈を行ってはならない、とされるのです(類推解釈とは、ある法律がAに適用されるのであれば、同様の性質を持つBにも、Bが法律の文言の意味の枠から外れるとしても適用してよいという解釈です)。

 上記の最高裁の判断において問題とされたのは、罪刑法定主義の内容のうち、「事前に」という部分です(「遡及処罰の禁止」といいます)。
 この点について最高裁は、『公訴時効制度の趣旨は、時の経過に応じて公訴権を制限する訴訟法規を通じて処罰の必要性と法的安定性の調和を図ることにある。本法は、その趣旨を実現するため、人を死亡させた罪であって、死刑に当たるものについて公訴時効を廃止し、懲役又は禁錮の刑に当たるものについて公訴時効期間を延長したにすぎず、行為時点における違法性の評価や責任の重さを遡って変更するものではない。そして、本法附則3条2項は、本法施行の際公訴時効が完成していない罪について本法による改正後の刑訴法250条1項を適用するとしたものであるから、被疑者・被告人となり得る者につき既に生じていた法律上の地位を著しく不安定にするようなものでもない。』として、憲法違反ではないとの結論を導いています。

 これは、『罪刑法定主義とは、行為の可罰性の有無と程度を事前に告知すべきものとする原則であり、それ以上の手続的制約は行為の可罰性に影響しないから、その遡及的変更は罪刑法定主義に反するものではない。』という、類似の事例に関するドイツ憲法裁判所の合憲判断の理由に近いものだと思われます。

 つまり、罪刑法定主義とは、ある行為が処罰されるかどうか、されるとしてどの程度の罰にあたりうるかどうかを事前に示しておくべきという考え方であり、その処罰手続をどう定めるかは、行為が罰せられるかどうかの予測には直接には影響しないのだから、これを変更しても罪刑法定主義には反しないという意味です。行為の時点で違法であり処罰されることが示されていれば、人がその行為をしないようにする機能は十分に果たされ、それを処罰することができる期間が長かろうが短かろうが、行為のリスクの予見には影響しないということでしょう。