1 はじめに

 こんにちは、弁護士の伊藤です。

 今回は、被害者が被害を受ける以前から有していた身体的・精神的要素(これを「素因」といいます。)が、損害の発生ないし拡大に寄与した場合に、これを過失相殺(ないしその類推適用)の対象とできるかどうかという問題(これを「素因減額論」といいます。)について検討したいと思います。

2 素因減額論

⑴ 素因減額論の論拠

 交通事故をはじめとする不法行為に基づく損害賠償制度の目的は、被害者に生じた損害を填補することにあります。したがって、加害者は、加害行為と因果関係が認められる損害について賠償責任を負うのが原則です(民法709条参照)。

 しかし、実際に発生した損害がその加害行為のみによって通常発生する程度、範囲を超えるものであって、かつ、その損害の拡大について被害者の身体的・精神的要因が寄与しているような場合[1]、賠償責任を負う者にすべての損害を賠償させることは、損害の公平な分担という損害賠償制度の趣旨に照らして、相当とはいえないのではないか。

 そのような場合には、当事者間の公平を確保するために、民法722条・418条を類推適用して、加害者の賠償責任の範囲を相当な範囲に縮減すべきではないのか・・・という問題意識が、素因減額論を支えています。

⑵ 素因減額論に対する疑問

 しかし、素因減額論には、以下のような疑問があります。

 まず、被害者はその結果をみずから望んだわけではなく、いわば強制的に事故に遭っている[2]わけです。

 それに、そもそも「加害者は被害者のあるがままを受け入れなければならない。」というのが、不法行為の基本原則[3]であるはずです。

 人の体格ないし体質は、すべての人が均一同質なものということはできないでしょうし、通常人の平均値から著しくかけ離れた程度に至らない身体的特徴は、個々人の個体差の範囲として当然にその存在が予定されている[4]と考えられます。

 そうであれば、被害者が平均ないし通常と異なる身体的・精神的特徴を有していたとしても、それが疾患に当たらない場合には、特段の事情が存しない限り、被害者のかかる特徴を損害賠償額を定めるに当たって斟酌すべきではない[5]のではないか・・・という疑問が、素因減額論には呈されているところです。

⑶ 素因減額論についての検討

 不法行為制度は、社会共同生活の全体的な向上発展の理想のもと、社会に生じる損害の負担を公平かつ妥当に分配する制度[6]です。それゆえ、被害者に対する加害行為と被害者の素因とがともに原因となって損害が発生・拡大した場合で、かつ、加害者に損害の全部を賠償させるのが公平を失するときは、素因減額が認められるべきと考えられます。

 しかしながら、損害賠償制度の損害の填補という目的に照らして、安易な素因減額は認められるべきではなく、慎重な運用が求められると考えられます。すなわち、被害者の疾患の態様や程度などの事情を基礎として、加害者に損害の全部を賠償させるのが公平を失するかどうかを個別具体的に検討するべき[7]と考えられます。

3 最後に

 素因減額論は、規範的な評価を伴う法的概念であり、機械的適用に馴染まない性質のものです。

 それなので、素因減額が問題となるような複雑なケースでは、被害者であれ、賠償義務者であれ、自己の正当な権利を十分に主張していくために、信頼できる弁護士の助言を得ることが有効であると考えられます。

[1] 最判昭和63年4月21日・民集42巻4号243頁参照。
[2] 我妻榮・有泉亨・清水誠・田山輝『コンメンタール民法(第2版)』(以下「我妻」)1389頁。
[3] 東京地判平成元年9月7日・判タ729号191頁参照。
[4] 最判平成8年10月29日・民集50巻9号2474頁参照。
[5] 最判平成4年6月25日・民集46巻4号400頁参照。
[6] 我妻1285頁。
[7] 森健二「交通損害賠償における「あるがまま」」(判タNo.1326―43頁)参照。

弁護士 伊藤蔵人