こんにちは。秋の空気になってきましたね。
先日、とある映画を見ました。その映画は、他人の記憶に潜入することができる超能力者の見たその他人の記憶を、裁判で証拠として採用することができるという設定のものでした。自分が忘れているような記憶でも、その超能力者の手にかかれば明らかになるという前提でした。
私はこのイントロを読んで、直感的に「ん?」と思いました。なんとなく、ストーリーの要点が見えたような気がしました。というのは、私たちが仕事上直面する問題点と似通ったものを感じたからです。
法的紛争を解決するには、何が事実なのか、ということを常に念頭に置く必要があります。そしてその事実を裏付ける証拠は何なのか、と考えます。 多くの場合、物証が完璧に整っていることはなく、物証がなくてどこかあいまいになります。そういうとき、「証言」という証拠で補完する必要があります。しかしこの「証言」は、100%信頼できるかというと当然そうではありません。どうしても、証言の背景には記憶があるからです。
人はすべてを正確に記憶することはできません。時として、「こうであってほしい」という願望からか、真実ではないことを真実の記憶であると思い込んでしまうこともあります。
ただ、証言は、基本的に、記憶通りのことを言えばよいのです。絶対的真実を述べよと言われたら、きっと不可能ですが、誤った記憶であっても記憶通りのことを述べることはできるでしょう。意図的に虚偽を述べれば偽証ですが、記憶通りの事を述べれば偽証ではありません。
冒頭映画では超能力者の見た記憶が「証言」という形ではないけれども証拠として採用されるということですが(どうやって証拠にするのか知りませんが…)、この理屈からすると、「偽証」というものはありえないということになりそうです。
こういう超能力者がいない世界では、「偽証」のレベルに至らなくても、絶対的真実とは異なる証言というものが生じ得ます。弁護士としては、そういう相手側の証言については、信用性を争います。多くの場合、意図的にせよ意図的でないにせよ、真実ではない証言は、どこかに矛盾があります。その矛盾をついて、証言の信用性を争います。
冒頭の映画では超能力者が見た他人の記憶がそのまま証拠になって、この証拠の信用性を争う機会もなさそうだったので、信用性を争いたい側だったらなんとリスキーな制度だろう…と思いながら見ていました。
さて、ここまで書いて、何が弁護士の仕事上で直面する問題点と似通っているかということについて詳細は書きません。ネタバレの恐れがあるからです。 最後に、この映画はとてもおもしろかったですよ。