今年は、年始に冬季オリンピックが行われ、来月にはサッカーのワールドカップが開催されるという、スポーツの一大イベントが複数開催される1年となっております。

 もっとも、そのようなスポーツの試合が行われる会場に直接足を運べる人は少なく、多くはテレビ等で放映されるスポーツ中継の映像を目にするのではないかと思われます。では、このようなスポーツの試合の観戦について著作権の観点から分析すると、どのようになるのでしょうか。

 著作権といえば、楽曲や小説、絵画など文化的な創作物が想像されますが、スポーツのような身体の動作に著作権が発生するのでしょうか。この点、著作権法上、「舞踏」、すなわち、「歌や音楽に合わせて手足やからだを連続的に動かす運動・動作」(半田・松田編「著作権法コンメンタール」514頁)の著作物というものが例示されており(著作権法10条3号)人間の身体的な挙動だからという理由のみで著作権の発生が否定されることにはならないと考えられます。

 しかし、サッカーや野球等のスポーツの試合に著作権は発生しないとされるのが通説的な見解です。それは、スポーツの試合は、著作物の定義である「思想又は感情を創作的に表現したもの」(著作権法2条1項1号)にはあたらないと考えられているからです。

 たしかに、スポーツの試合では、一ないし複数の競技者が、観客にも見える形で様々な動きをとっており、「表現」行為はあると考えられます。

 しかし、スポーツの試合が目的とするのは、あくまで結果としての勝敗を決することであり、これが「思想又は感情」を表現するために行われているかといわれると疑問です。また、内心のアイデアを外部に表現することが「通常人であれば誰でもそのように表現するだろう(凡庸)」といえる場合には「創作的」ではないとされますが、スポーツ競技の場合には、定められたルールの下で試合の結果を出すためにとり得る行為は相当に限定されるのであって、スポーツの試合の中でとられる行為は、大別すればその限定のうちのいずれを選択するかに限られるといえ、凡庸な表現行為の域を脱することはできないと考えられます。よって「創作的」でもないと考えられます。

 なお、先に挙げた「舞踏」の著作物の該当性との関係では、裁判例上、舞踏の著作物といえるためには、「同じ挙措動作を再現でき,鑑賞者が同じ舞踊であると認識できる程度に」「特定されている」ことが必要とされています(福岡高判平成14年12月26日)。しかし、スポーツの試合を、個々の競技者のプレーの全てを再現するということはおよそ考えられず、また、試合自体もそのような再現をするために開催されているものでもありません。むしろ、「筋書きのないドラマ」を観たいからこそ人々は夢中になるのであって、このような特定性の観点からも、スポーツの試合に著作物性がないということは納得できるのではないかと思われます。

 このように、スポーツの試合に著作物性が認められないということは、法文的にも実質的にも妥当なのではないかと考えられます。では、それをテレビ等で放映するための「番組」にも著作権は発生しないのでしょうか。結論としてはそうではないのですが・・・

 この点については、紙幅の都合上、また改めて記事にしたいと思います。