1 はじめに

 昨今の景気悪化を受け、止むを得ず新卒者等の採用内定の取消しを検討せざるをえない企業もあるのではないでしょうか。
 しかしながら、安易に内定取消しを実行しようとすれば、内定者から企業に対して、期待権侵害を理由として損害賠償請求をされたり、採用内定をもって労働契約が成立したことを前提に、採用内定取消しが解約権の濫用として無効であるとして、当該企業の従業員たる地位の確認を請求されるリスクがあります。
 この採用内定に関する問題を考えるに当たっては、最高裁のリーディングケースである大日本印刷事件(最判昭和54年7月20日)がヒントになりますので、以下でご紹介します。

2 事案の概要

 大学新卒者であるXは、大学の推薦を通じて、Y会社の昭和44年度の新卒者採用試験に合格しました。XはYから採用内定通知書を受け取ったところ、同封の誓約書には、大学卒業後は必ずYに入社する旨誓約することの他、5項目の採用内定取消事由(①提出書類の虚偽記載、②共産主義運動への関与、③卒業不可、④健康状態の悪化、⑤その他入社後の勤務に不適当と認められたとき)が記されていました。
 Xは、Yに就職できるものと思い、大学の推薦を受けていた他企業に対する採用応募を辞退しました。しかしながら、その後、YはXに対し、特に理由を示すことなく、採用内定を取り消す旨通知しました。そこで、Xは、Yの従業員たる地位の確認等を求める訴えを提起しました。これに対し、Yは、訴訟において、主な採用内定取消事由として、「Xのグルーミーな印象を打ち消す材料が出てこなかったこと」を主張しました。
 なお、Yの昭和44年度新卒新入社員については、採用内定通知後、入社式の通知がなされ、同時に健康診断書の提出が求められた上、入社式実施後すぐに試用期間に突入し、特に採用内定通知のほかに労働契約締結のための意思表示はなされませんでした。

3 最高裁の判断の要旨

 最高裁は、結論として、Xによる従業員たる地位の確認請求を認容しました。その理由の要旨は以下のとおりです。

 本件で、採用内定通知のほかには労働契約締結のための特段の意思表示をすることを予定していなかったことを考慮すると、企業の求人募集に対する新卒者の応募は労働契約の「申込み」であり、これに対する企業の採用内定通知は右申込みに対する「承諾」であって、誓約書の提出と相まって、新卒者と企業との間に、就労の始期を大学卒業の直後とし、それまでの間誓約書記載の採用内定取消事由に基づく解約権を留保した労働契約(「始期付解約権留保付労働契約」)が成立したものと認めるのが相当である。
 かかる留保解約権に基づく採用内定取消事由は、採用内定当時知ることができず、また、知ることが期待できないような事実であって、これを理由として採用内定を取り消すことが解約権留保の趣旨、目的に照らして客観的に合理的と認められ、社会通念上相当として是認することができるものに限られる。
 Xがグルーミーな印象であることは当初から分かっていたことであり、その段階で調査を尽くせば従業員としての適格性を判断できたことを考慮すれば、これをもって採用内定取消事由⑤に当たるとすることはできない。

4 上記判例の分析(教訓)

⑴ 採用内定の性質の捉え方はケースバイケースであること

 上記判例で一つ注意すべきことは、前提論として、採用内定制度の実態は多様であることから、当該企業の当該年度における採用内定の事実関係に即して採用内定の法的性質を検討する必要がある旨述べていることです。つまり、企業が採用内定を通知すれば、常に労働契約が成立するというわけではなく、採用内定がどのような性質のものであるかは、個々の事案によって異なりうるということです。
 もっとも、実際には、Yのような採用内定制度を取っている企業が多く存在すると考えられ、その場合には、上記判例が述べるように、採用内定通知をもって始期付解約権留保付労働契約が成立したと判断される可能性が高いと思われます。

⑵ 採用内定が労働契約の成立である場合の採用内定取消しの適法性

 採用内定が労働契約の成立である場合、採用内定取消しは、その取消事由が客観的に合理的で社会通念上相当として是認できる場合に限り、適法ということになります。
 例えば、上記事案の取消事由①「提出書類の虚偽記載」も、その字面どおりには受け入れられず、虚偽記入の内容・程度が重大なもので、それによって従業員としての不適格性・不信義性が判明したことを要する等の限定解釈がされることになります。裁判所は概して、企業のなした内定取消しに対して厳しい態度をとる傾向にあります。

⑶ 採用内々定の場合

 上記判例を踏まえると、採用内定通知の前に採用担当者が口頭等で採用が決まったことを通知する「採用内々定」の場合、後に正式な採用内定通知が予定されており、それまでは応募者が自由に就職活動できるといった性質である限り、労働契約は成立していないと判断される可能性が高いと考えられます。

5 さいごに

 長々と述べましたが、結局のところ、重要なのは、①誓約書等によって応募者が企業に拘束され、自由に就職活動することができず、かつ、②選考過程において、採用内定通知以外に特に労働契約締結のための手続が用意されていないことの2点ではないかと思います。これらの事情がある場合には、内定者において、「拘束はされる代わりに、確実にこの企業で就労することができる」という期待が生じるのが通常であり、裁判所としては、この期待を無下にするわけにはいかないという価値観が働くと考えられるからです。
 したがって、採用内定の場面で予期せぬトラブルを防止するためには、裁判所の判断の根底にある価値観をよく理解した上で、各企業の風土に合った採用内定制度を構築する必要があると思われます。