弁護士 平久 真

 

1.はじめに

弁護士の平久です。今回は、相殺権と否認権という同じ破産法上の規定同士の関係や破産法の相殺権と労働基準法の賃金全額払の原則という別の法分野との関係が問題となった判例(最高裁平成21126日第二小法廷判決民集4481085頁)についてご紹介致します。

2.事案の概要

 Aは、Y会社に在職中、Y会社の住宅財形融資規定により、元利均等分割償還、退職時に残金一括償還の約定でY会社から貸し付けを受けた。

 その後Aは、多額の負債を負い、Y会社を退職することになった。その際Aは、Y会社に対し、上記約定に従って借入金の残額を退職金等で一括返済することに異存がない旨の委任状を提出した。そこでYは、約定とAの申出に従い、貸付金の一括返済請求権と退職金等請求権を相殺処理した(以下、「本件相殺」という。)。

 Aに対する破産宣告後、Aの破産管財人に選任されたXは、Yに対して、本件相殺は、労働基準法24条(昭和62年改正前)の賃金全額払の原則に反し、また他の破産債権者を害するから否認すると主張して一括返済相当額の支払を求めた。

3.問題点

 労働基準法241項は、「賃金は、通貨で、直接労働者に、その全額を支払わなければならない。」と規定しています。しかし、相殺してしまうとその分については直接労働者に支払われないことになるから、賃金全額払の原則に反するのではないかが問題とされました。

 また、破産法1601項は、「破産者が破産債権者を害することを知ってした行為」について否認することができることを規定しています。そこで、本件相殺についても他の破産債権者を害するとして否認することができるのではないかが問題となりました。

4.判決の要旨

 労働基準法241項本文の定めるいわゆる賃金全額払の原則は、使用者が労働者に対して有する債権をもって労働者の賃金債権と相殺することを禁止する趣旨をも包含するものであるが、労働者がその自由な意思に基づき当該相殺に同意した場合においては、当該同意が労働者の自由な意思に基づいてされたものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するときは、当該同意を得てした相殺は当該規定に違反するものとはいえないものと解するのが相当である。

 債権者の相殺権の行使は、債務者の破産手続開始決定の前後を通じ、否認権行使の対象とはならないものと解すべきである。

5.本判決を踏まえて

 本判決によれば、合意による相殺も労働者の自由な意思に基づく同意の存在を要件に認められることになります。

 このような考え方に対しては、使用者の圧力によって労働者がこのような相殺契約を締結するように強いられ、法の潜脱を引き起こすという批判もあり、本判決も相殺の「同意が労働者の自由な意思に基づくものであるとの認定判断は、厳格かつ慎重に行われなければならない」と判示しています。その判断要素としてこれまでの判例は、合意の内容や合意に至る経緯、合意時の労働者の立場(在職中か退職時か)、相殺に対する労働者の認識、使用者の有する債権の性格