1 抜け落ちている議論

 このたびの日弁連会長選挙でも大きな争点となった法曹人口問題。正確には弁護士人口問題ですよね。弁護士の数は大幅に増えましたが、裁判官や検察官の年間採用人数は昔と変わってません。こちらは、国家公務員ですから、国の予算が増えないと、増やしようがありませんから。

 さて、日弁連会長選挙でも争点となった弁護士人口問題には、大きな、そして最も重要な視点が欠けています。
 それは何かというと、そもそも弁護士人口は何らかの理由で国がコントロールするべき問題なのかどうかという視点です。

 そもそも司法制度改革の3本柱のひとつとして弁護士人口の大幅増員が掲げられたのは、国民のニーズに応えるため。端的にいうと、弁護士の数が足りないということです。経済学的に言えば、需要に対して供給が追いついていないということです。
 これに対して、司法試験合格者の削減を掲げている宇都宮弁護士は、新人弁護士の就職難や弁護士業務の需要が増えていない点を指摘しているようです。
 でも、これって、いずれにしても弁護士人口は国のコントロール下に置かれなければならないことを前提としている議論です。

2 資格試験の原点に帰る

 そもそも需要と供給のバランスをコントロールしなければならない業界なんて、そうそうありません。
 例えば、建築の市場のニーズに併せて、もうこれ以上新しい建設会社を設立してはいけないとか、IT関連の会社が多くなりすぎて競争が激化したので、需要のサイズに併せて、以後、IT分野の新会社の設立を認めないとか…。
 本来であれば、供給側が需要を上回るとき、解決策は、需要を増やすか供給を減らすしかないわけです。自由競争が成立している業界では、この調整は競争を通じて行われるはずです。だから、食べていけなくなる会社のことなど考える必要はないのです。

 しかし、何らかの公益的な理由から、需要と供給のバランスを競争に委ねるのではなく、国家のコントロール下に置くことがよい場合もありえます。でも、それはあくまでも例外なんですね。
 もし弁護士人口を一定の数に制限することが公益の実現に資するのであれば、その根拠を示すべきだと思います。

 本来、資格試験であれば、その職業を行うのに最低限必要な知識・適性さえそなえていれば、後は自由競争にさらされるべきです。
 したがって、弁護士資格の有資格者の数が需要を遙かに上回っていたとしても、So what?の世界ですよね。司法試験に合格したからといって、弁護士になる義務があるわけではない。弁護士として食べていけないのであれば、別の職業を考えればいいわけですから…。実際に、例えば、行政書士や社労士の資格を有していながら、別の仕事をしている人ってたくさんいるんですよ。なぜ弁護士は例外でなければならないのか。それには説得力のある説明が必要です。

 私は、弁護士の数をコントロールする必要はないと思っています。もちろん、質の低下は考えないといけないので、資格試験の合格基準はコントロールしないといけません。その結果、合格者が少なかったというのであれば、それは仕方がないと思います。でも、初めに数の問題ありきというのはおかしな議論です。弁護士の数をコントロールする必要性が見いだせない以上、資格試験の原点に帰って、合格基準に達している人は合格させるべきです。そして、弁護士としてやっていけない人は、弁護士をやめればいいんです。

 みなさん、そう思いますか?