1 検察が論告で無罪を求める
足利事件とは、1990年に、栃木県足利市で起こった4歳女児の殺人事件です。
報道にもあるように、この事件の被告とされた菅家利和さんは、冤罪で約17年半も刑務所に服役しました。
無実の罪で長きに渡って刑務所に入れられた菅家さんにとっては、到底承服できることではありません。失った時間は取り戻せませんから…。
しかし、今回の結末で私はあえて検察庁に拍手を送りたい気持ちです。
これまでに冤罪事件と呼ばれるものはいくつもありますが、検察庁が正面から冤罪を認めることは皆無でした。
検察庁の従来の組織体質として、一度起訴した以上、検察官の威信にかけて裁判では負けられない…。証拠上、有罪はおかしいと思われるような事件であっても有罪の主張を堅持してきたはずです。検察庁のメンツがかかってますから…。
しかし、今回は、再審の公判で検察官が冤罪を認めて無罪主張をしているんです。これは、伝統的な検察庁の姿勢から考えるとありえないことです。
もちろん、冤罪で17年半も服役した菅家さんにとっては、それがどうしたという話だと思います。もっともな話です。
でも、検察庁が自らの過ちを認めるということは、大きな前進であることは間違いないと思います。
2 冤罪は誰のせいか?
冤罪事件が発覚すると、どうしても検察庁に注目が集まり、批判の的になるのも通常は検察庁です。
しかし、ちょっと待ってください。
法律的な観点から言えば、検察官は裁判官ではないので、理論的に無実の人を起訴することは必ずしも違法ではありません。
そのために裁判官がいるんですから…。
検察官が起訴しても、有罪判決がでることもあれば無罪判決がでることもある。これが健全な裁判です。
ところが、日本の刑事司法では、検察官が起訴すると、事実上有罪の推定が働いて裁判官は有罪判決を下してしまう…。これでは、何のための裁判所かわかりませんよ。
裁判官が検察官に迎合して安易に有罪判決を出してしまうことが最大の問題だと思います。
判決を出すのは裁判官であって検察官ではありませんから、冤罪で一番責任があるのは裁判所です。
検察庁は冤罪を認め謝罪しているのに、裁判所がこの件について黙して語らないのは卑怯だと思います。刑事裁判に携わっている裁判官は、検察官以上に反省すべきであり、今回の冤罪事件について重く受け止めていただきたいと思います。