第1 はじめに
「労務管理4」においては、労働者にとって最大の関心事ともいえる「賃金」について、どのような種類に分けられるか(賃金体系)の他、いかなる法規制がなされているかに関するお話をしました。そして、賃金に対する法規制は、通常時のものと、労働者の退職・出産や企業の倒産等非常時のものに分けられ、通常時の規制まで説明しました。
そこで、今回は、非常時に種々の法律により、どのような規制が設けられているかについて述べていきたいと思います。
第2 非常時の規制
1 非常時払い
使用者は、厚生労働省令で定める非常の場合、労働者の請求により、支払期日前であっても、既往の労働に対する賃金を支払わなければなりません(労働基準法25条)。
その非常の場合として、①労働者の収入によって生計を維持する者が、出産したり、疾病にかかったり、災害を受けた場合、②労働者又はその収入によって生計を維持する者が、結婚したり、死亡した場合、③労働者又はその収入によって生計を維持する者が、やむを得ない事由により1週間以上帰郷する場合が規定されています(労働基準法施行規則9条)。
なお、非常時払いといっても、支払期日前に支払う賃金は、「既往の労働」、すなわち既に働いた分に対するものに限られ、これから働く分の前払いが認められるわけではありません。あくまで、賃金には後払いの原則(民法624条1項)があることを忘れないでください。
2 休業手当
労働基準法26条は、「使用者の責に帰すべき事由による休業の場合においては、休業期間中、労働者に平均賃金の60%以上の手当を支払わなければならない」旨定めています。ここでいう「休業」には、操業時間の短縮も含まれます。なお、「平均賃金」とは、原則として、算定事由発生日以前3か月間に支払われた賃金総額をその期間の総日数で割った金額をいいます(同法12条)。
かかる休業手当につき、立法過程においては、広く「労働者の責に帰すべき事由以外の休業」に対して支払うべきとの意見もありましたが、企業が自己の責任で経営していく資本主義経済体制の下、不可抗力による休業まで賃金支払義務を負わせるのは、使用者に酷であるとのことで、上記のような規定になったと言われています。
しかし、そもそも民法536条2項によれば、使用者の責に帰すべき事由による労務提供債務の履行不能であれば、労働者は、賃金を全額請求 できるはずです。それを、労働基準法26条は平均賃金の60%の限度でしか認めていないことに関し、次のような解釈がなされています。
労働基準法26条の帰責事由は、民法536条2項の帰責事由よりも広く、使用者側に起因する経営、管理上の障害を含むとの判断が示されました(最高裁ノース・ウエスト航空事件判決 昭62.7.17)。
より具体的にいうと、天災事変等の予見不可能な事由や労働者の責に帰すべき事由を除いて、広く使用者の経営上、管理上の責任範囲に属する事由が、労働基準法26条の帰責事由となります。
他方、民法においては、労務提供債務の履行不能が外部に起因し、防止不可能であったといえれば、使用者の責に帰すべき事由にあたらないものとして、賃金請求権は発生しません。しかし、そういった民法上は「双方の責めに帰することができない事由」(同法536条1項)にあたる場合でも、その原因が使用者の支配領域に近いところから発生しており、労働者の生活の保障という観点からは平均賃金の60%の限度で休業手当を支払わせるのが相当と認められる場合には、労働基準法上の「使用者の責に帰すべき事由」にあたると解されるわけです。
ここからすると、使用者が休業手当を支払わないで済むような休業は、明らかに労働者側に責任のある場合と考えておいた方が無難かもしれません。
このように、労働基準法は、労務管理の初めの回に触れましたが、労働者側に偏りすぎていると思えるくらい、労働者保護に厚く、使用者には冷たい法内容となっています。民法は公平の理念で貫かれていますが、各種労働関係法は立場の弱いと思われる労働者を節操なくえこひいきしたような印象すら受ける、そんな規定も多いのです。
3 傷病補償
業務上の負傷、疾病による療養中の労働者には、平均賃金の60%に相当する休業補償給付が支給されています(労働者災害補償保険法14条、8条)。
また、私傷病による療養であっても、労働できない期間中、標準報酬額の60%に相当する傷病手当金が支給されます(健康保険法99条)。
私傷病のように労働者が私的に病気や怪我をした場合、さすがに使用者にその負担を負わすわけにはいきません。しかし、労働者にとって、生活の糧が入って来ずに困るという点では、業務上の傷病と何ら異なりません。そこで、法は、そういった場合でも、使用者負担のない形で、全く同一の効果を労働者に与えるという保護を及ぼしているのです。
4 減給制裁の制限
使用者が懲戒権を行使して、労働者の賃金の減給をする場合、1回の減給額は、平均賃金の1日分の半額を超えてはならず、減給総額は、一賃金支払期における賃金総額の1/10を超えてはならないとされています(労働基準法91条)。
これは、使用者の無限定な懲戒権行使により、労働者の生活の安定が侵されないようにする趣旨です。
5 企業倒産時の立替払い
賃金の支払の確保等に関する法律(賃確法)上の制度として、退職労働者は、退職時の6か月前から立替払請求日前日までに履行期が到来している未払賃金・退職金債権について、その80%に相当する額を、倒産した企業に代わり、政府から支給を受けることができます(同法7条)。
上記立替払いを受けるための要件は、①労災保険適用事業の事業主が1年間以上、事業を実施していて、②その企業が倒産し、③労働者が倒産手続(破産・特別清算・民事再生・会社更生手続)の申立の6か月前から2年間に退職した者であること、とされています。
①の要件は、立替払いの費用が事業主負担の労災保険料で賄われていることに起因するものです(労災保険法29条1項4号)。
また、②、③の要件に関し、中小企業においては、事実上の倒産をも含み、ただし、労働基準監督署長の認定を受ける必要があるとされています。
なお、退職労働者の未払賃金については、遅延利率が年14.6%と高率に定められており(賃確法6条1項)、一般の賃金遅配(年6%)よりも厚い保護が与えられています。
企業が倒産するときには、もちろん企業は労働者に何もしてやることはできません。したがって、そのような場合に備えて、予め企業に非常時資金を負担させておくというシステムをとっているのです。