先日、「サブウェイ123 激突」という映画を観る機会に恵まれました。「サブウェイ」と題名に冠してあるとおり、地下鉄を舞台としたサスペンスです。ニューヨークの地下鉄の一部が乗客ごとハイジャックされ、そのハイジャック犯(ジョン・トラボルタ)が、たまたま地下鉄のオペレーションルーム(地下鉄各車両に対して、地下鉄の運営会社の本社が連絡をとったりするための指令室のような場所)に居合わせた地下鉄職員(デンゼル・ワシントン)を交渉相手として指名したため、地下鉄職員とハイジャック犯の間で心理的攻防を含む緊迫した交渉が繰り広げられる・・・というのがお話の大筋です。

 

 非常によくできた映画で、エンターテインメントとして楽しめました。

 ただ、「地下鉄がハイジャックされた事件」に対する捜査の手法について、「日本ではおそらく別異の対応がとられるだろうな」と感じられる点がありましたので、今回はこれについて分析を試みたいと思います(以下では、若干、上記映画の具体的内容にふれますので、映画を未見であって内容をあらかじめ知りたくないという方は、映画を観てからお読みください)。

 

 映画の中で、ハイジャックがされた!犯人は乗客を人質にとって身代金を要求している!ということがわかった時点で、捜査当局は、とりあえず市長に連絡をとり、ニューヨーク市の特別会計勘定から、犯人の要求する身代金を用意するよう手配します。しかし、日本人の感覚からすると不思議なことに、関連する他の地下鉄の路線を止めたり、犯人の逃走経路となりうる地下鉄の駅を封鎖したりはしません。

 日本における同種の犯罪(身代金目的誘拐事件などを想起するとわかりやすいかと思います)についての捜査の常道からすると、捜査当局は、人質の安全とともに犯人の早期確保を目指すものであり、そのためには、まずは犯人の位置情報を確認し犯人の身柄の確保に取り組むものと思われます。こうした見地から、同種の犯罪が日本で仮に起こった場合は、犯人の逃走経路を断つために、かなりの確率で「地下鉄の駅の封鎖」が行われるのではないでしょうか。

 また、ここまで大がかりな犯罪がらみでなくとも、日本では、たとえば系列の路線で人身事故や「線路内への人の立ち入り」があったという程度であっても、しばしば他の車両まで「一時停止」を余儀なくされることは、電車に乗ることの多い方にとっては常識的なことかと思われます。

 しかしながら、この映画では、地下鉄ハイジャック事件という重大な犯罪が発生しているにもかかわらず、誰も「地下鉄内の他の車両を止める」とか「地下鉄の駅を封鎖する」という発想をしないようなのです。

 これは、いったいどうしてなのでしょうか?

 これは映画の中のお話ですので、「そんなことをして簡単に犯人が捕まってしまっては、ドラマとして成り立たない」という実際的理由もあるかもしれませんが(笑)、おそらくそれ以外にも、「関連路線停止」や「地下鉄駅封鎖」を実行させない社会的背景があるものと思われます。

 主要な背景事情として、「ニューヨークなどの大都市では、たとえば日本の東京以上にテロリズムに対して“日常感”があるため、このような事件が発生したからと言って他の車両を止めたり駅を封鎖してしまうと、他の乗客らから無視し得ない大きな苦情がでてしまう」ので、いかに重大犯罪捜査のためといえども、公共交通を止めてしまうことに対しては抵抗がある、ということがあるでしょう。この点、重大犯罪が起これば、社会全体の機運として、「一刻も早く解決しなければ」というムードが醸成され、公共交通の一時停止程度のことは大きな抵抗なく受け入れられる、という日本の常識的な見解とは異なるといえます。

この意味で、日本では、少なくとも大きな刑法犯罪への対応の感覚としては、結構遵法精神に富んだ国民であるといえるのではないかと思います。