1 遺族の会が要望

 今、殺人事件などの凶悪犯罪について、時効制度を廃止する論議が高まっているようです。
2009年9月10日付毎日新聞(朝刊)によると、「殺人事件遺族の会」が、民主党進政権に対し、殺人等の凶悪犯罪について、時効制度を廃止するよう要望を出したそうです。
 民主党の「刑罰のあり方検討プロジェクトチーム」は、政策集2009の中で、凶悪事件の公訴時効について、検察官の請求によって公訴時効の中断を認める制度を検討するとしています。

 困りますよね。こういう法律の素人みたいな議論は…。こんな制度を作ったら、法制度が歪みます。確かに、法律はケースに応じた柔軟な運用ができる余地を残しておいた方がいい、これは一般論としてはそうです。あまり硬直化した法律の適用を行うと、事案によっては不当な結果が生じます。

 しかし、殺人等の重大犯罪で、検察官の請求があったか否かにより、時効が中断してしまい逃げ切れない殺人犯と、時効が完成してしまいお咎めなしの殺人犯が生じてしまうことが果たして合理的なのでしょうか。
 この手の法律は、しっかり筋を通した方がいいと思います。別な次元での不正義を生みますから。

2 公訴時効廃止の遡及は可能か

 この点、森英介法相(当時)の法務省内勉強会の方が筋が通っていてわかりやすい。しかも、妥当です。
 この勉強会が去る2009年7月17日に出した検討結果の要点は、

1)公訴時効の廃止が相当
2)時効廃止を遡及させても憲法上可能

 という内容です。

 遡及とは、新しい法律(ここでは時効の廃止)を過去にさかのぼって適用することを意味しています。
 例えば、今期の国会で仮に時効制度を廃止する法改正がなされた場合、改正後の重大犯罪だけではなく、すでに重大事件を犯し捕まっていない事件についても時効の廃止を適用することを意味します。
 そうすると、今逃げている犯人は、もうすぐ時効が完成し自由な身になれたはずなのに、突然時効が廃止されたため、今まで逃げ続けてきた努力が水の泡になってしまいます。時効がなくなったので永久に逃げ続けなければならなくなる。本当にこれでよいのか、という問題です。

 私は、それでよいと考えています。なぜならば、いわゆる「罪刑法定主義」の派性原理である「刑罰不遡及の原則」は、公訴時効制度の廃止には及ばないと考えられるからです。
 ここはちょっと専門的で難しい話なので、噛み砕いて説明したいと思います。

3 罪刑法定主義と刑罰不遡及の原則

 罪刑法定主義とは、どのような行為が犯罪となり(罪)、それに対してどのような刑罰が科されるのか(刑)が、法律で定められていなければ、人を罰することができないという考え方です。憲法31条によって保証されていると解されています。
 なぜ罪刑法定主義が大事かというと、罪と刑罰が定められていなければ、市民は安心して自己の行動を決定できなくなります。犯罪ではないと思ってやったことが、法律の根拠なく「犯罪だよ」と言われて突然逮捕されるなんてことは、あってはならないですよね。

 そして、この罪刑法定主義という考え方から派性して、新しい刑罰法規を過去にさかのぼって適用してはならないという考え方が導かれます。これを刑罰不遡及の原則と言います。
 なぜ、刑罰法規を遡及させてはならないかというと、「君が昔やった行為は、新しい法律で犯罪ということになったので、今からあなたを処罰します」と言われたら困りますよね。罪刑法定主義の狙いは、罪と刑罰を明らかにして、市民の行動の自由を守ろうということでしたよね。そうだとすると、後から作った法律で過去の行為を処罰するということになると、市民は安心して生活できなくなります。だから、罪刑法定主義の内容として、刑罰不遡及の原則(さかのぼって処罰しない)が導かれることになります。

 ちょっと話が長くなりましたが、本題に戻ります。  さて、時効制度を廃止し過去の犯罪に時効制度の廃止を適用したら、刑罰不遡及の原則に反することになるのでしょうか?
 私は反しないと考えます。なぜなら、先に詳しく論じたように、そもそも罪刑法定主義から導かれる刑罰不遡及の原則は、何が犯罪でどのような刑罰が科されるかを予め国民に明らかにして、その行動の自由を守ろうとすることにあります。
 しかし、時効完成まで逃げている犯人の期待は、単に時効の完成により処罰を免れるという期待に過ぎません。罪と刑罰が不明確だったために、行動の自由を害されるという関係にないのです。それが証拠に現在も逃げ回っているじゃありませんか!自分のやったことが凶悪犯罪であること、死刑になるかもしれないことをちゃんと分かっているんですよ。
 そもそも罪刑法定主義の目的は、国民の行動の自由であって、長時間逃げ切ればお咎めなしにしてやる、などという凶悪犯人の期待にこたえることではありません。

 東京都葛飾区で起こった上智大生殺害事件は、1996年に起きました。この事件は、まだ犯人が捕まっていません。
 また、2004年に愛知県豊明市で発生した母子4人殺害事件も未解決なままです。時効制度を速やかに廃止すべきでしょう。そして、過去の凶悪事件にもさかのぼって適用すべきです。