弁護士 金 崎 浩 之


秘密保持契約の有効性

1 ダイオーズサービシーズ事件(東京地判平成14年8月30日)
 会社が従業員を雇用する際に、会社の営業秘密の漏洩・利用を防止するために、従業員との間で秘密保持契約を結ぶことがあります。

 通常、誓約書という形式でなされることが多いと思いますが、書面のタイトルや形式を問わず、従業員に秘密の保持を約させる内容の契約を広く「秘密保持契約」と呼びます。

 今回のブログでは、会社と従業員との間で交わされた秘密保持契約の有効性が争われた事件の裁判例を紹介したいと思います。

 この事件では、次のような内容の誓約書を被告(元従業員)が会社に差し入れていました。

1)就業期間中及び会社を退職した後も、顧客名簿や取引内容、製品の製造過程、価格等の会社の業務に関わる重要な機密事項を一切他に漏らさない。
2)会社を退職してから2年間、在職中に担当した営業地域並びにその隣接地域に存在する同業他社に就職する等して、会社の顧客に対して営業活動を行わない。

 前者が従業員に秘密保持義務を負わせる条項で、後者が競業避止義務を負わせる条項です。

2 前記東京地裁の解釈論
 東京地裁は、秘密保持契約の有効性について、次のような判断基準を立てました。以下に引用します。

「労働契約終了後も一定の範囲で秘密保持義務を負担させる旨の合意は、その秘密の性質・範囲、価値、当事者(労働者)の退職前の地位に照らし、合理性が認められるときは、公序良俗に反せず、無効とは言えないと解するのが相当である」(東京地判平成14年8月30日労判838号32頁)。

 この判例の興味深い点は、秘密保持契約が無効になる場合を想定している点です。例えば、秘密の内容が曖昧で特定できていないなどといった理由で無効になる場合があるのは分かります。でも、この判例が秘密保持契約の有効性を制限しているのは、そういうことではなく、判例の言葉を引用するならば、

「このような退職後の秘密保持義務を広く認容するときは、労働者の職業選択又は営業の事由を不当に制限することになる…」

からです。すなわち、従業員の職業選択・営業の事由との関係でその有効性が制約される場合があると言っているのです。
 でも、これって正しいのでしょうか?

3 秘密保持義務と競業避止義務を峻別
 まず、本件で問題となっている誓約書の前半が秘密保持義務に関する条項で、後半が競業避止義務に関する条項でした。

 前半の条項を見ると、「重要な機密事項を一切他に漏らさない」とありますが、この条項が元従業員の職業選択・営業の自由を侵害するという理由で無効になるのはおかしいと思います。
 以前の勤務先で得た営業秘密を他人に譲渡して転職等をする自由が従業員に保障されているわけありません。また、転職先の企業がこの元従業員から機密情報を入手したいということであれば、それこそまさに不正競争です。これを防止するのは、営業秘密の保有者である企業の当然の権利であり、これを防止する秘密保持契約が無効になることなどあり得ません。無効があり得るとすれば、営業秘密の内容が特定されておらず不明確である場合や、営業秘密という名目で営業秘密以外の情報に対してまで契約書で網がかかっている場合です。

 では、本件の事案と離れて、営業秘密の第三者への漏洩だけではなく、その従業員本人が自ら利用することを禁じた場合はどうでしょうか。
 この場合でも秘密保持契約は有効です。会社が当該従業員に対して、在職期間に限定してその会社の営業秘密の利用を許諾するのは当然の権利です。退職後も元従業員が辞めた会社の営業秘密を継続して利用できることを認めなければならない法的根拠はありません。また、営業秘密の自己利用を禁じたからといって、その元従業員の職業選択・営業の自由を侵害することもありません。

 問題の核心は、従業員を制約している事項が、営業秘密以外の事項に及んでいる場合です。これをやられると、確かに従業員は、転職や起業することが不可能ないし著しく困難になる場合があります。
 しかし、それは秘密保持の問題ではなく、競業避止義務の問題です。前記東京地裁の判例は、明らかに秘密保持義務と競業避止義務の問題を混同しており、法律論として間違っていると思います。

 ちなみに、この判例は、前述のとおり、本件を秘密保持契約の有効性の問題として処理し、本件については公序良俗に反しないとして有効だと結論つけました。
 しかし、この事件の真の争点は、競業避止義務の問題であり、その点に関して言うならば、有効だという結論には疑問があります。
 競業避止義務に関しては、また別の機会に書こうと思いますのでお楽しみに。