1 リーダーにはフォロワーが必要

 政治家、特に総理大臣になるような人について、そのリーダーシップがよく云々されます。小泉さんのリーダーシップとか、麻生さんのリーダーシップとか…。

そして、今度は鳩山さんのリーダーシップが問われることになるのでしょう。

 しかし、リーダーが存在するためには、フォロワー(つき従う者)の存在が必要です。巷には様々なリーダー論がありますが、おそらくリーダーに関する唯一の定義は、フォロワーが存在することだと思います。

 では、政治家がもしリーダーだとすると、フォロワーって一体誰でしょうか?
 政党政治においては、通常政治リーダーは、所属する政党のトップマネジメントの地位にあります。自民党であれば総裁、民主党であれば代表です。
 政党は組織です。そして、組織には、その組織を動かすリーダーと、それに従うフォロワーの存在が必要です。この意味では、政党のトップにいる人物がリーダーで、その構成員である党員がフォロワーだと一応観念することができます。リーダーシップがちゃんと政党内で機能しているかどうかは別問題です。今私が論じているのは、そもそも論ですから。

2 政治家は本当にリーダーか?

 しかし、マスコミなどで、政治家の優れたリーダーシップが語られる時、それは所属政党との関係ではなく、国民との関係で語られているような気がします。
 しかし、国民というのは組織化されていません。政治家がリーダーで国民がフォロワーであるならば、政治家の指揮命令に国民がつき従うという関係がなけれなならないと思います。でも、大衆化された現代の民主政治でそのような関係を少なくとも私は見出せません。

 例えば、4年前の選挙で大勝した小泉さん。国民の多くは、異論もあるかもしれませんが、少なくとも麻生さんよりは、政治家として優れたリーダーだったと思っているのではないでしょうか。
 しかし、政党という組織における小泉さんのリーダーシップは、それほど優れているとは思えません。なぜならば、自民党をまとめ切れなかったからです。あの4年前の選挙は、自民党VS民主党ではなく、小泉派VS反小泉派が戦う選挙だったですよね!自民党をまとめられなかったから、国民の審判を仰いだんです。小泉さんと国民の関係を分析すると、むしろ次のような解釈のほうがしっくりきます。

小泉:「社長(国民)、私は日本株式会社のために郵政民営化という経営戦略を立案しましたが、他の役員やそれを支持する職員から反対意見が出ています。どうかご決断ください」

国民(社長):「そうかわかった!自己保身に走っている役員や職員がいるのだな。社長の私が許可する。お前のやりたいようにやりたまえ」

 こちらの方が実態に即しているような気がします。