旅館・ホテルの事業者は、宿泊客に対してその生命や身体の安全に配慮する義務を負っています。この義務に違反すると損害賠償責任等が発生する可能性があることは、本連載でも何度か取り上げてきました。さらに、この宿泊契約上の義務以外にも、建物や施設を利用する人々に損害が発生しないように注意しなければなりません。
民法717条1項は、「工作物責任」を定めており、「土地の工作物の設置又は保存に瑕疵があることによって他人に損害を生じたときは、その工作物の占有者は、被害者に対してその損害を賠償する責任を負う」旨を規定しています。旅館・ホテルの事業者はその建物や施設を占有しているため、当該建物や施設の「設置又は保存に瑕疵」があって、瑕疵によって他人に損害が生じたとなれば、損害賠償責任に応じなければならない可能性があります。
「設置又は保存に瑕疵」がある状態とは、工作物が通常有すべき安全性に関する性状又は設備を欠くことをいいます。瑕疵の存否は、その工作物の性質、それが設置された場所の具体的状況、その利用状況等を考慮して、「通常有すべき安全性」を備えているか否かを具体的に検討して総合的に判断されるとされています。
レストランで食事をした高齢の客が、会計を終えて、出入口の自動ドアにあるタッチスイッチを押し、杖をつきながら店外へ出ようとした際、閉じてきた自動ドアに接触して、店の外側に転倒し、大腿骨骨折等の傷害を負ったという事案において、自動ドアに「設置又は保存に瑕疵」があったか否かが争われた裁判があります(東京地裁平成13年12月27日判決)。
裁判所は「一般に、通常の歩行能力を有する成人の通常の歩行速度は約4km/時であると考えられるところ、通常の歩行能力を有する成人であれば、約0.54秒間で本件ドアを通過できることとなり、このような者を基準とする限りは、本件ドアの通行可能時間が不十分なものであったとまではいえない。」「しかし、杖をついて歩行する高齢者や幼児は、通常の歩行能力を有する成人の数倍程度歩行に時間を要することがあり、やむを得ず自動ドアを通行する途中に立ち止まったりすることもあり得るから、これらの者も利用することを前提とした場合には、前記のような通行可能時間で十分であったとは必ずしもいい難い。また、このような者に引き続いて通行する者がいることも十分考えられるから、その場合にも本件ドアの通行可能時間は十分であったとはいえない。」 とし、当該自動ドアは、身体ないし動作の制御及び歩行能力の劣る高齢者や幼児も使う事を前提とした「通常有すべき安全性」を備えている必要があり、この自動ドアの通行可能時間は十分なものとはいえず、通行者がドアに接触ないし衝突する危険性を有していたこと等の事情に基づいて、「通常有すべき安全性を備えていたということはできず、その設置又は保存に瑕疵があったといわざるを得ない。」と判断しました。結局、レストラン側には、治療費や慰謝料等として、約220万円の損害賠償の支払いが命じられています。
旅館やホテルは、基本的には不特定多数の来客を予定した施設であるところ、近年のノーマライゼーションの高まりのために身体に障碍のある人等にも危険が生じないように事業者は安全管理をしていく必要性があります。自動ドアやエスカレーター、エレベーターといった設備のほか、つまづきやすい段差など、事故が起こりやすい部分については、安全管理を徹底しておくべきといえます。