現代日本における社会問題として、過労死や過重労働を原因とする自殺などが取り上げられるようになって久しく、長時間労働と過労死又は自殺については、厚生労働省においても労災の認定基準が定められ、企業が使用者責任を問われるようになるなど、企業が遺族に対する損害賠償責任を負担するという裁判例も蓄積されています。
近年においては、東証一部に上場しており、全国的に飲食店を展開する大企業に勤める従業員が急性左心機能不全により死亡した事案において、企業の責任のみならず、会社法419条1項に基づく役員個人に対して、約7800万円の損害賠償責任を認める判決があらわれ、平成25年9月24日、最高裁においても上告棄却及び上告不受理決定が下されました。
最高裁においても、役員の個人責任が是認されたという結論は非常に重要ですが、実は、ホテル業界においては、過去に同種の判決が下されていたことがあります。平成17年4月12日に和歌山地裁において下された判決は、会社の損害賠償責任に加えて、役員(社長及び常務)の個人責任を肯定しました。
事案の概要は、ホテルの料理長が定例会議中にくも膜下出血を発症し、約2年4ヶ月後に死亡したという事案です。遺族は、会社及び取締役2名に対して損害賠償請求を行いました。
判決において、裁判所は、厚生労働省が定めている脳血管疾患及び虚血性心疾患等の認定基準である、発症前の1ヶ月間におおむね100時間又は発症前2か月間から6か月間の間に1ヶ月あたりおおむね80時間を超える場合は、業務と発症の関連性が強いとされている点を踏まえたうえで、料理長は、休みを返上して勤務していることも多く、時間外労働時間が1ヶ月80時間に近いかこれを超えており、献立作成を自宅においても行う等の業務を加味すると、かなりの業務負担が生じていたと認定しました。
また、料理長の提案により採用されていた調理員の売上手当の削減や人件費の削減等の方針が役員らより示され、調理現場の実情と管理職としての役割に板挟みとなり強いストレスを感じていたことも認定されています。
会社としては、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負っており、社長及び常務取締役として被告会社の運営全般に責任を負い、かつ、日常的に会社の業務に関与していたものであって、会社の労働者については、業務上の負担が過大となることを防止するための制度を整備する義務があるとされました。
そして、会社及び役員らは、料理長の時間外労働時間を把握するための仕組みを用意せず、これに代わる措置もとっていなかったことや恒常的な休みの返上や長時間勤務を放置し、具体的な勤務時間を把握したり、具体的な勤務時間の調査を実施する体制を整えていたりしたわけではないことは、安全配慮義務違反となり、違法性を帯び、過失も認められるとし、遺族らの損害賠償請求が認容されました。
遺族らは、合計約8500万円の損害賠償を請求していたところ、裁判所は、合計約2440万を認容しました。減額された主な理由は、損害と支出の因果関係が認められなかったものや遺族補償等による補填がされていたほか、料理長自身にも私的な肉体的・精神的負担の要因が存在し、必ずしも業務上要求されていない仕事まで背負いこんでしまった面も否定できないとされ、損害額のうち3割が減額された点にあります。
最高裁判例のみならず、同種の業界において役員個人の損害賠償責任が肯定されている例があることからも、ホテル旅館業界においては、役員の方も、1ヶ月80時間以上の時間外労働が心疾患及び脳疾患等による過労死の危険性が高まるとされていることを認識し、1ヶ月80時間以上の時間外労働が発生しないよう労働時間の把握を制度化したうえで、万が一、時間外労働が恒常化してしまっている場合には、長時間労働を改善する方策を講じる必要があると考えられます。