これは、神々がシーシュポスに与えた刑罰で、山の頂上まで大きな岩を運ばせる、というものです。頂上まで岩を運び終わると、岩はその重さで再び麓まで転がり落ちていく…。それをまたシーシュポスは、山頂まで運ぶ。岩はまた転がり落ちていく…。また山頂まで岩を運ぶ…。これを延々と繰り返さなければならないという刑罰です。
神々は、シーシュポスに対して、このような意味のない不条理な刑罰を科したのでした。
この神話を知ったとき、思わず司法試験と重なってしまいました。
基本書を隅々まで読みまくる。試験に落ちる。また同じ基本書を初めから読み返す。また落ちる。また読み返す…みたいな(笑)。延々と同じ作業を毎年やっていたような記憶があります。
でも、ボクは幸せ者ですよね。結果的に合格できたから…。
ところが、シーシュポスの場合は、不条理な作業が永遠に続きます。こんな不条理なことに人間は耐えられるのでしょうか。
アルベール・カミュは、そもそも人生というものは、シーシュポスの神話と同様に不条理だと考えているようです。そして、カミュは、このような不条理な世の中だからこそ、生きるに値するといいます。
カミュの作品は、『異邦人』にしても『シーシュポスの神話』にしても、とても難解で、ボクには理解できません。
でも、個人的な体験からは、不条理な世の中でないとおもしろくないという気はします。
例えば、子どもの頃から優秀で名門大学も卒業したのに司法試験に合格できなかった人がいる一方で、ボクみたいな不良あがりがちゃっかり受かって弁護士をやっている…。実際に、地方で講演をした際に「世の中間違っている!」というご批判をいただいたこともあります(笑)。でも、このほうが世の中、何が起こるかわからなくておもしろい。
全てが条理の通り進んだら、世の中の出来事は全て予測可能。これって、実におもしろくないと思います。
やっぱり、何が起こるかわからないから世の中おもしろいんだと思います。