若い頃、刑事被告人の弁護をよくやりました。

 その多くは、被告人が罪を自白している事件でした。

 ところで、なぜ被告人は自白するか?これがボクの最大の疑問です。

 修習生時代、指導担当の検事は、「反省しているからだ」と言ってました。

 でも、それは違うと思います。確かに、後悔はしているかもしれませんが、反省はしていないでしょう。後悔と反省は似て非なる心情です。


 ドストエフスキーの「罪と罰」という作品のなかで、主人公のラスコール・ニコフという人物が、最後に罪を告白して、大地に口づけをするというシーンが出てきます。罪の意識がそうさせたのだというのが一般的な解釈ですが、問題は、ラスコール・ニコフの罪の意識が何に向けられているかです。

 主人公の男は、自分を苦しめている高利貸しのお婆さんを殺害しただけではなく、犯行現場を偶然目撃してしまったリザベータも殺害してしまっています。仮にリザベータ殺害は反省していても、高利貸しの婆さん殺しは反省していない可能性があります。
 ドストエフスキーが、どうしてリザベータを作品に登場させたのか、このへんを読み解かないと、ドストエフスキーのメッセージを読み間違えます。

 いずれにしても、ボクが感じることは、人間は反省しない生き物だということです。

 したがって、犯罪抑止に重要なことは、犯罪者に反省を求めることでもなければ、犯罪者を厚生させることでもありません。物心両面に渡って、「犯罪は割が合わない」ということを理解させることだと思います。

 そう言えば、ラスコール・ニコフと陪審員の問答…。まだ、彼が真犯人であることが判明する前の段階で、いかにも陪審員の男が「君が犯人だと知っている」と言わんばかりのかまかけ…。その時のラスコール・ニコフの心理的葛藤の描写は見事です。

 罪を告白して楽になれるなら、ボクも「大地に口づけ」をして全てを打ち明けられる心情になるかもしれませんね。