高慢にして益にたたず 名利深き者には劣るなり
葉隠にこんな言葉が出てくるなんて、ちょっと意外で発見でした。
名利とは名誉と富を指します。葉隠は、名誉や富に対する欲がない人は、おおかた他人を罵り、高慢で役立たずだと言ってるんです。
葉隠という本はおもしろくて、きれいごとみたいな言葉もたくさ出てくるんですが、きれいごとを排斥する実践的な哲学もたくさんでてきます。この言葉も、そんな実践的哲学を表現していると思います。
なぜ実践的なのか!
ボクの私見かもしれませんが、名声や富に欲がない人は、概ね聖人か負け犬のいずれかに分類されるのではないでしょうか。
確かに名誉・富を求めない人には立派な人がいることは分かります。内村鑑三の「代表的日本人」によると、西郷隆盛は、「名誉も富も要らない」と言ったとあります。
しかし、名誉や富を求めない人って、みんな西郷隆盛みたいな人なんでしょうか?たぶん、ちがいますよね。名誉や富が欲しくても手に入らない。でもそれを認めたくないから、「いらない!」と言って正当化してしまう。だから、負け犬なんです。
では、葉隠が言うように、そんな負け犬の人たちって、”高慢”なのでしょうか?
ここもけっこう深いです。ボクは高慢だと思います。なぜならば、負け犬の人たちって、それを認めたくないので、本当は負け犬なのに西郷隆盛のような人格者のフリをしてしまうわけです。
その結果、上から目線になって、名誉や富を追求する人たちを偉そうに非難する側にまわります。
ニーチェ流に言えば、ルサンチマンなんですよ。
だから、葉隠は「名利深き者には劣るなり」と断じているんです。
ちなみにボクは、名誉も富も大好きです。今のボクの社会的地位や経済的成功なんて、とても満足できません。
でも、葉隠の言葉からは話がそれますが、名誉と富のどちらが好きかと問われたら、ボクは名誉のほうがずっと好きです。
おカネは天国に持って行けません。所詮は親族に相続されておしまいです。
でも名誉は永遠です。ボクが死ねばおカネは誰かのモノになってしまいますが、名誉は永遠にボクのモノです。だからボクは、名誉のほうが富よりも尊いと思っています。そう言えば、刑法には「死者に対する名誉毀損罪」という犯罪が出てきます。やっぱり死んでも名誉は残るんです。
これはこれで、けっこう実践的な哲学だと思いませんか?